史伝西郷四郎6
ところで、「史伝西郷四郎」の著者は8年間「虚実の分別作業と、埋もれた実像の破片の発掘作業に追われた(あとがき)」とあるように、西郷四郎の研究をしていた。このまとめ方は、12年前に出した私の「図解コーチ合気道」が発想のヒントになっている。最重要のテーマにその内容を用いる場合、出版界では、その著者に断るのが常識である。また、それをやらない(これには理由(後述)がある)なら、正しく本の名前を載せるべきである。しかるに、同書の主要参考文献目録には鶴山晃瑞著「合気道」昭和57年3月となっており、正確な書名でないし出版年月日にも意図を感じる。同書の協力者名の中にアラン・フロッケ(フランス)や望月稔の名前がある。フロッケからは10年前小生宛の手紙(英文)で「図解コーチ合気道」の主要テーマを使わせてくれと頼まれたことがある。この時、私はハッキリ断った。「史伝西郷四郎」の著者も、私に許可を求めて、断られた場合、同書の構成に影響するし、内容の興味が低くなってしまうことを恐れたものであろう。私に電話も何もなく、本の紹介も不適切という点が問題である。
会津武家屋敷でも私の本のことは知っていた。調査の初期に私の本を見てテーマ帰結の発想を得たことは間違いない。それにしても、今年(昭和58年)病気療養のため会津行きをやめたことは、良い結果になりそうだ。来年、大坪先生と共に会津武家屋敷に行き「護身杖道」を100冊ぐらい寄附すれば効果的であろう。会津武家屋敷は元々西郷頼母の屋敷の跡地であり、頼母や西郷四郎の宣伝にこれ努めており、それにも貢献できるだろう。現在、会津武家屋敷の小冊子には、大東流合気柔術の説明があるが、宗家時宗の名前で例のデタラメな歴史が書いてある。その他は郷土史家が良心的な記事を書いているのに、不見識もはなはだしい内容である。ただ、このことは会津若松の郷土史家なら分かっていることだから…いずれ問題になるだろう。大坪先生と一緒に行くことで、更に日本伝合気柔術・大東流三大技法の普及宣伝につながる。この技法をとりまとめた会津若松に信奉者を誕生させなければならない。今のままでは「仏作って魂入れず」の状態で、改善しなければならない。大東流が生まれた背景に何があったのか、公武合体における会津藩の役割はどういうものだったのか、今後明らかにしていかねばならないし、私以外の研究者も現われるであろう。(完)
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