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大東流の転身(上)

転身と転換に関する鶴山先生のメモです。

「合気道マガジン」に連載している清水豊なる男が「大東流と植芝合気の違いは」大東流には転身があり、植芝合気には転換があって、その意味する内容は全く違う、と書いてある。なお、転換とは、前足を軸に身体を180度回転させる捌きのことで、植芝合気では軸足の拇指球に重心を置いて回るとされている。
大東流には、小野派系柔術と江戸柳生系合気柔術の2系統があり、小野派系の柔術は転身のみで、江戸柳生系の合気柔術では同じ転身と言う言葉を使っても転身から転換することに特色がある。柳生系合気柔術では、転換は転身に含まれているので、わざわざ「転換」と区別して言うことはほとんどないのだが・・・。つまり江戸柳生は小野派を破ることを目的としているからであり、多敵之位がコンセプトであるからである。
転身してから転換するのは江戸柳生系の合気柔術(合気道技法の原型)のことで、清水氏が主張するように、植芝盛平が創始したものではない。創始のかけらも無く最初から最後まで大東流のままである。
さて、盛平は武田惣角から昭和6年に小野派系の合気柔術を習いそれを「御信用之手」として独立を許された。実際には、盛平は勝手に創始者を名乗っていたので、大正11年の江戸柳生系合気柔術は教えてはいけない。お前が教える身分ではないという、惣角なりの区別を徹底していたのである。そこで昭和6年で指導内容が大幅に変わることになる。その内容は富木謙治氏が整理編集した「武道練習」に覚書として残されている。

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