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合気之術の思想背景1

皆伝の口伝の内容によりショックを受けた鶴山先生が気を取り直して研究した成果の一部です。

「合気柔術と合気之術とは基本的に違っている。」久琢磨先生から皆伝の口伝でこれを伝えられた。その後数年間は、大東流が新羅三郎から武田家代々に伝えられた秘伝技法であるとの期待が、全くのデマ事であったことを知って、その事実の前に愕然としていた。
「僕には、師を越える勇気が無かったが、大東流の基本原則というか、技法発生の秘密の解明は君なら出来ると思う。」これが、久先生の言葉であった。数年が過ぎ、合気之術はどの兵法書によったのか?
この考究の第一はやはり中国兵法であるから、これを研究することから始めなくては、と思った。中国の兵法書というと、何といっても「孫子の兵法」があり、また「孫呉の兵法」ともいわれる「呉子の兵法」がある。
孫子と呉子の違いは、
孫子は頭脳的兵術家としての大家である。呉子は自然法則に逆らわない、あるべきようにあり、そして天地自然に逆らわず無理をしないことにあった。してみると、大東流は呉子の兵法の影響の方が強いようである。
呉子図国(とこく)第一に、「呉子いわく、昔の国家を図る者は、必ず先ず百姓(ひゃくせい=人民のこと)を教え、しかして万民を親しむ。四つの不和あり、国に和せざれば、以て軍をいだすべからず。軍に和せざれば、以て出陣するべからず。陣に和せざれば、以て進み戦うべからず。戦いに和せざれば、以て勝ちを決すべからず。」とある。
呉子は、国家の安泰には万民の調和(団結)に全力を図ることの大事を述べている。国内の不和、軍内の不和、部隊間の不和、兵士間の不和を解消しなければ戦いには勝てないのだ。

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