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大東流合気柔術免許皆伝の秘話 佐川幸義氏

松田隆智編「秘伝日本柔術」によると、「皆伝八十八カ条を伝えられた者には、『大東流合気柔術皆伝』と題する巻物が授けられるが、武田惣角より皆伝の巻物が授けられたのは、佐川幸義宗範と久琢磨師範の二人のみである。」とあり佐川幸義宗範が免許皆伝者であるとしています。松田氏は、おそらく佐川氏から皆伝書を見せてもらい、確認して上記の記載をしたのでしょう。

秘伝日本柔術

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では、なぜ免許皆伝ではなかった佐川氏が皆伝書をもっていたのか、当時の事情を武田時宗氏が鶴山先生に次のとおり語っています。
時宗氏は、昭和14年3月26日久琢磨の皆伝授与式の立会人として、惣角に同行していました。このとき皆伝書を筆耕した大阪朝日新聞社総務課勤務の人に記念品として皆伝書の写しを書いてもらったそうです。
その後、時宗氏が出征する際、惣角の遺品(英名録等)を佐川氏に預けたのでした。戦後除隊してきた時宗氏が惣角の遺品の返却を求めたところ、佐川氏は言を左右にして返してくれなかった。そのため、預けてあった遺品の中にあった宛名と捺印がない皆伝書の写し(久琢磨のものと同一筆跡のもの)に父(惣角)の印(印鑑は預けていなっかったそうです。)を捺印して、佐川氏を皆伝者とすることを条件として遺品を返却してもらったそうです。
鶴山先生が、「武道の免許皆伝書は一流派に一人であり、惣角先生はその習慣どおり久琢磨一人にしか出していないのに、それでは武田惣角が二人に皆伝書を出したことになりますね。」と聞くと、
時宗氏は「あの時は皆伝書に捺印しなければ、英名録等を返してくれなかった。英名録は最初に預けた時より、返してもらった時は三冊不足していた。」と鶴山先生の自宅で残念そうに語ったとのことです。

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