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植芝合気道の続飯付けと雅勲(がくん)極め

2か条・4か条に関する鶴山先生のメモです。
 
植芝合気道に両手持ちから始まる続飯付け(2か条口伝)と4か条口伝がある。これらは大正11年に習得したもので「大東流合気柔術の教授代理としての資格技法」であった。その続飯付けが自在にあやつれるようになったのは、大正15年ごろからで、自流として独立する自信をもてた技法であった。当時の海軍関係者は剣道などで手首を固めている者が多かったことから、力抜きの2か条はよく極まったのである。続飯付けの体得に時間がかかった理由は、口伝の秘伝技として教伝されたため練習できなかったから、であった。技を盗まれる可能性がある相手とは練習できない、その苦労が偲ばれるところである。そして体得したころ「天から金糸が幾條も降り注いだ」などと表現される「黄金体化」伝説が生まれたのであった。この開眼は、むろん続飯付けだけが原因ではないが、その端緒となったことは想像に難くない。これ以降、海軍将官たちからの応援を受け、東京進出、皇武会設立へと道が開けたのである。なお、4か条は昭和10(1935)年に、監督久琢磨として朝日新聞社が撮影した記録映画「武道」の中で太刀取合気投として公開されている。
この4か条を象徴的に使っているのが八光流である。ただし、八光流では4か条のことを雅勲(がくん)と呼んでいる。三段以降に登場する技法で「人差指を充分に伸ばし、その側面を刃の如く思い、真下に斬り降ろす」というものである。三段の雅勲は手の伸筋側、力の入る外側を攻め、四段の技法では手の内側を攻めるとされている。

補足説明:合気道技法でも知られる2か条と4か条は、類似技法が柔術にありますが続飯付けのような捌きはありません。4か条は一般に激痛により相手を制する技法との印象がありますが、その本質は異なります。微細な力で相手をコントロールする、そのためには自身の抜力が必要です。修行者が最も苦労するところです。


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