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合気柔術のはじまり1

この項目は、『図解コーチ合気道』第2章の2として採用されていますが、700字程度に要約されています。今回から紹介するのは、その草稿です。唐突な書き出しとなっていますが、これは原稿が散逸しているためです。
 
第1次大本教事件での勾留が停止され出獄していた出口王仁三郎は、大正13(1924)年満蒙での独立運動を企て出国した。この時、随行していた植芝盛平氏(当時41歳)ら共々満州馬賊に捕らえられ、あわや処刑される寸前になった。このショッキングなニュースを新聞で知った武田惣角は、愛弟子の安否を気づかって北海道白滝から上京、陸軍の三浦貢・梅津喜一、海軍の浅野正恭・竹下勇・岡田啓介などかつての門人たちの間を駆け巡って、盛平氏救出のため助力を請うた。

この時の上京が切掛となって、そのまま武田先生に東京に留まってもらえるようお願いしたが、惣角は当時、北海道で愛息惣次郎(時宗氏)の武道教育(小学校の行き帰りの前2時間の稽古をしたようだ)に専念しているため、しばらくは上京できないという事情があることが判明した。
浅野中将のたっての要請に、北海道時代よく「東京で道場を開いてみたい」旨、口にしていた盛平氏のことを思いだし、惣角は東京での指導は自分の代わりに植芝氏を推すと推薦したのだった。

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