尾張柳生と燕飛1
鶴山先生は、昭和60(1985)年の第22回総合武術演武大会の特別演武として、新陰流兵法の解説演武を行いました。このとき燕飛六箇之太刀と中国拳法との比較関連を解説され、青龍刀(二刀)を用いた形を公開されました。鶴山先生は大坪先生から燕飛の教伝は受けていないので、燕飛と二刀の使い方は鶴山先生の発想による創作と不完全な復元技に過ぎませんでしたが、
こういった発想に至る先生独自の視点と考察についてのメモが残っていますので紹介します。一つの読み物としてご覧いただければと思います。(全4回)
尾張柳生に現在残されている燕飛は、三代目柳生連也斎厳包が木刀を用いた連続した勢法に改変したものである。燕飛は上泉伊勢守が陰流の「猿飛」から創作された勢法で、中国刀法と新当流崩れの両手持ち二刀との戦い方である。他の勢法が一刀流対陰流の設定であるのと、趣を異にしている。
愛洲移香斎久忠(あいすいこうさいひさただ)創始の陰流は、中国刀対鹿島太刀なのである。この時の中国刀は明国時代であるから少林拳の外家拳のものであるはずだ。
このあたり16世紀の明の武将戚繼光(せきけいこう)によって記された「紀效新書」に書かれている。日本刀の形態に酷似した腰刀や長刀の絵図とともに習法としての影流之目録、見習法といった刀剣や刀剣技に関する記述がある。
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