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西郷頼母と大東流5

この綾部における特別講習終了にあたり、盛平は惣角から教授代理を許された。この際、入門者1人につき3円(≑12,000円)惣角に納入する旨「英名録」(『図解コーチ合気道』27頁の写真)で約束している。これは入門者1人につき10円の入門料をとり、そのうち3円を惣角に納入するということであった。

その後、盛平は上京し各所で指導をしていたが、惣角との約束を守らなかった。自身の「英名録」を作成(門人として竹下勇などの記帳がある。)し、海軍大学校などでも教授している。盛平と共に、竹下大将・下條小三郎・浅野中将らが一堂に会した写真が残っている。この盛平の活躍を浅野中将が惣角に手紙で報告したことから、惣角は上京し植芝道場を訪ねたのである。この時、盛平は草履を胸に入れ窓から逃げだした、という話がある。(後に、盛平は同じような状況で久琢磨のところからも逃げている。)富木謙治氏は「先生が来たのに、どうして逃げるのか?本当はどうなっているのか?」と回りに聞いたことがあるそうだ。望月稔氏は、このことを一言も言わなかったそうだ。杖道の清水隆次先生と私(鶴山先生)が一緒に、藤田西湖から聞いた話では「あの時、盛平はおれの家に逃げてきた。」そうである。

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