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非力の養成

これは、武田惣角が残した合気柔術の用語です。「非力の養成」と書いて、「ひりょくのようせい」と読みます。

1938(昭和13)年に植芝守高名義で書かれた「武道」が初出です。ここには「臂力ノ養成」口授スとあり、技法自体は口伝としています。
なお、1991(平成3)年に出版された「BUDO」の中では、Developing arm power (腕力を高めること)To be imparted by oral instruction(口頭指導により授与される)とあります。

武道の1

武道の2

鶴山先生によると、盛平から「ひりょくのようせい」のことを聞いて、富木謙治が「臂」(字義は、ひじ、肩から手首までの部分)の字を充てた、としています。柔道家でもあった富木は、嘉納治五郎が柔術を近代化した功績にならい、合気道、武道一般の体系化、理論化、普及化に尽力した先生で、1936(昭和12)年に満洲に渡り、関東憲兵隊や満州国に創立された建国大学で合気武術を指導しています。この際のテキストの底本として富木が作成した「合気武術教程」の中で、「臂力ノ養成」として活字化していたのです。
富木は「ひりょくのようせい」の動作を見て「腕力の養成」と解釈し、「臂力ノ養成」としたのでした。盛平もこれを見て修正しなかったことから、そのまま知られるようになり、その一部が養神館系合気道に伝わっています。

h非力の養成

非力の養成とは、合気柔術の基礎鍛練法で、重心の移動と体幹部の一体化を目的としており、腕力や脚力ではない力(力に非ず)を養成する技法です。これを簡略化したものが、皇武術に残っています。
なお、非力の養成の技法は、次のような構成になっています。
まず、立位と半座位があり、それぞれに徒手操法と太刀利用法、単独動作(無負荷)と組動作(有負荷)があります。太刀利用法については、立位では太刀、半座位では小太刀を用います。また、組動作では2人組から6人組までの動作があります。この動作には、投げ放ちとそれに対する残心の稽古も付加されて伝わっています。

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