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武道と忍法(中)

戸隠流忍法は1,000年の歴史があるというが、この説明はおかしい。武術自体は戦国時代以前からあるが、武道という概念は徳川時代にできたものである。戦国時代だからこそ忍法が必要であったのである。司馬遼太郎著「歴史の中の日本」に忍術使いの項があり「なぜ、伊賀盆地に忍者の職業集団が発生したか」について書いている。その要旨は、
   ①同地が畿内という政治的中心地にあったこと、
   ②戦国期を通じて統一的な領主が現れなかったこと、
   ③狭い土地の割に地侍が多く、百姓から収奪するだけでは食っていけなかったこと、から諜報技術を売ることになった。また、忍者の育成については、同地の地侍(上忍)は大正時代の曲芸団の親方のような存在で、近隣の百姓から次男三男坊を買い取ってきて下忍に育て、敵情偵察の上手い者、後方攪乱に才能のある者など特技に応じ、諸国からの注文に応えた。彼らのモラルの中心は自分の職能であって、雇い主との契約であった、とある。

昔から忍術解説書には、精神修養等を強調しているが、その役割は現代風にいえばスパイのことで、スパイをする人間は現在でもその主張に絶対的信用は出来ないのである。初見氏はその著(「いま忍者」)の中で、天智天皇のころ正しい農民を武人とした時代があった、だから武という字の主体は正しいという字である。忍者と武士は共通するかの印象を与えたかったのだろうが、正義の士である武士と忍者の役割・立場は違っており、同一のものとして語ることは出来ない。
根来同心でさえも忍者を止めた場合に限り、下級武士として扱われており、伊賀者の扱いも武士とされた者とその下使いの小者(忍者)があり、忍者は武士として認めないという扱いは徳川300年間変わっていない。だから、初見氏の言うような忍法と武道の関連は全くないのである。ただ、格闘技としての忍法はあるが、これは護身術と同じもので、これをいかに高度化してもその域を出ない。

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