大東流合気柔術=指導者 塩田剛三氏
塩田剛三先生、「不世出の達人」など賞賛され誰もが知る大先生です。
先生は、望月稔、平井稔らとともに戦前派を代表する植芝盛平の弟子でした。昭和7年に入門、昭和9年以降、内弟子として植芝門下では最も長い生活をしていた、とのことです。
さて、次の写真は、昭和29年7月17日(土)の産経新聞に掲載された「痴漢撃退の一助に あなたを護る簡単な柔術」と題する記事です。
「最も簡単で力の弱い婦女子に出来る防御法の一種を解説しましょう。これは“大東流合気柔術” =指導者塩田剛三氏という日本古武道の一つで甲斐の武田家のお家芸で徳川時代には“お止め技”と称して非公開だったもの。」とあります。
先生は、昭和27年に都内83警察署の巡回指導を行い、昭和31年に養神館合気道を立ち上げていますが、この間の昭和29年に合気道ではなく、大東流合気柔術と称して指導していた。興味深い話です。
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