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骨法の堀辺が来た(続)21

(承前長野君の手紙)
いわば、完全な「見世物」として行われたことが、後世の芸能人としての大相撲に一脈通じるものがある、という意味ではないでしょうか。つまり、後世の人はこの神話を故事として、また、それに倣って相撲を見物することの相乗効果として見世物である相撲が発展してきたのです。
いずれにしても相撲の意義は「勝負の結果が第三者によく判るようになっている!」という点にあって、勝負をしている当事者同士より、見ている観客側の人を主体にしているものだと思います。それゆえに、本来の武道とは違ったものになるのです。

ところで、ベースボールマガジン社発行の月刊雑誌『空手と武術』の雑誌名は一見素人っぽいもので、おもしろいなと思いました。「空手」と「武術」とすることで、「空手道」は「武術」ではない、と言っていることになるからです。「空手道」は「武術」であると認識されている先生方がほとんどでしょうから、この分類法には驚くと共に違和感をいだかれたかも知れません。その『空手と武術』が、今度は『近代空手』と『中国武術』に分冊されることになりました。ここで判ることは、『空手と武術』の命名者は「武術」とは中国武術のことを想定していた、ということです。そして、『近代空手』と銘打ち、中国武術を除いたものをそのまま収録していますが、その表題と内容がかみ合わない奇妙な感じのする雑誌となってしましました。例えば、改題創刊8月号には、例の堀辺氏の骨法が千年の歴史を持つ古流(明らかに近代空手ではないです。)との宣伝と、もう一つ藤原稜三氏(空手歴が長く、文献研究者)による「拳法の歴史」についての文章が載っています。(続)

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