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形の限界

武術の稽古では、まず動きを覚え、その動きを実現させるための術理を学び、動きを体得し自在な展開ができるように進めていきます。ひと言で言えば、形稽古ですね。

武術は敵の攻撃を捌き対応する、本来その場限りのものといえます。
これを類型化し「かた」とすることで、他人に伝え、また、世代を越えた共有物として残せる可能性が生じました。

形とする以上、他者が理解できる・共有できるもでないと成立しません。
するとそこには抽象化・一般化というフィルターがかけられ、しかも、これを書伝しようとすれば自ずと限界が生じます。文章で表現すると、文章のよし悪しや、構成や表現力が問われ、いわゆる文章の世界に入ってしまい、解釈する人によって更に別ものに変質する可能性が生じます。

現代では当たり前の、写真にしても動画にしても、文章よりはわかりやすいものの、その空間の一部を切りとっているだけ、情報過多で整理しにくい、という限界があります。

分かっている人にスキンシップで教わることの重要性は永遠、と言えるのでしょう。

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