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会津紀行5

会津若松市の東南にあり、昔から城下町会津若松の遊び処として知られた東山温泉に第2日目は宿泊することになっていた。(母成峠からの帰路)沼尻駅前(磐梯急行電鉄の廃線に伴い廃駅に)から、地図の調査で近道と思われた脇道に入った。小雨の中、30分ほど行ったが、道が細くなるだけ、一面畑である。これは道が違うと、地図で再調査、それでも現在位置すら不明、途中誰も見当たらない。山道に入り道路工事をしている人に聞くと、全くの方向違い、約1時間無駄にした。
十六橋から次の古戦場で、面白い女の子が道連れとなった。車に一緒に乗せ会津武家屋敷に向かった。

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会津武家屋敷は、市街の東にあり羽黒山の裾野に造られた。国家老西郷頼母邸の設計図面が出てきたのでこれを再現させたもので、約4,000坪ある。
家老屋敷入口に陣太鼓楼があり、入場するときサービスで太古を鳴らすことになっている。従業員のほとんどが年配者、県庁の定年組の感じがする。団体のときは、ドンドンとならし、中高年は喜んでいた。

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会津武家屋敷の中に西郷頼母邸の他、白川藩精米所、陣屋、縄文館などがある。
西郷邸の庭園も復元されているがもっと大きなものであったらしい。
大坪先生によると、西郷頼母の屋敷、玄関などは旗本3,000石の格式と同じと言うが、西郷頼母は1,700石であるから会津の方が格式が高いとも言える。他の家老、田中土佐守、神保内蔵助なども同規模の屋敷だったようだが、西郷邸には殿様の間がある点異なっていた。

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