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大東流の三大技法(続)34

大東流の承継者久は惣角の技法を写真に残し、総伝11巻などとりまとめ、書籍も出版しています。おりしも太平洋戦争中ということもあり、軍事色の強いものですが、これは周辺事項であって、技法の本質とは無関係です。戦後の久は、普及活動にそれほど熱心ではなかったようです。それでも、熱心な門人鶴山先生が現れ、先生に後事を託すこととし、皆伝を許したのでした。

ここで、なぜ大東流合気柔術の免許皆伝ではなく、日本伝合気柔術の免許皆伝としたか、について疑問の向きもあるでしょう。その理由は、
大東流合気柔術の皆伝を名乗る者が他にも存在し、その者との区別が付きにくいこと、
宗家を名乗る武田時宗氏への配慮があったこと、
大東流三大技法を前面に出すため工夫が必要であったこと、
が考えられます。そこで、柔術・合気柔術・合気之術の大東流三大技法を統合した名称を日本伝合気柔術としたのでした。日本伝合気柔術は昭和57年に日本古武道振興会に登録されていますが、その流儀名は日本伝合気柔術(大東流三大技法)なのです。

この名称による免許皆伝は関係者の間で物議を醸しました。
大東流の免状は宗家以外は出せないのではないか・・・、
日本伝・・・と名乗る以上大東流とは関係がない云々です。
当時は、鶴山先生の実力・発言力・影響力に誰も表だって言えませんでしたが、先生が突然亡くなるとこれらが噴出したのでした。
大東流関係者からすれば自らの技法は大東流の一部に過ぎないなどと言われて、気分がいいわけはありませんし、そんなことは認めるわけにも行きません。先生が亡くなった時点では、組織も不十分、後継者は当然未定でしたから、対抗する術がなかった、という実態でした。その後、先生の門下は道統を守るべく少人数ではありますが稽古を続けて、今に至っているのです。
そして、それぞれの流派も、代替わりしそれぞれの道を歩んでいます。今は昔の話しです。(完)

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