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合気陰陽法之事(続)-(上)

「合気陰陽法之事」については、同名のタイトルで既述していますが、今回はその元ネタの一つであった鶴山先生のメモを紹介します。
 
「合気陰陽法」とは大東流だけの用語である。久琢磨が武田惣角から免許皆伝を受けたとき、皆伝技法として教えられたもので、私(鶴山先生)もこれを久先生から受けた。「合気」には「陽の合気」と「陰の合気」があるということである。

技法的には、植芝盛平、久琢磨はこの「陰の合気」の系統であり、武田時宗、佐川幸義、堀川幸道、吉田幸太郎などは「陽の合気」の系統である。したがって、同じ合気柔術と称していても、その内容と技法が違ってくるのである。
「陰の合気」とは江戸柳生系の躰之術であって、
「陽の合気」である小野派系の躰之術とは違うということだ。
なぜ、このような区別ができたかというと、これらを必修すべき武士の階級が異なっていたからである。
徳川時代、江戸柳生系の技法は三万石以上の若年寄・老中の技で、公武合体では上級武士(大名クラス)のものとして整理、
小野派系は中級武士(役職クラス)のものとして想定・整理されたものだからである。なお、後の大東流がまとめられようとしていた頃、撃剣は既に下級武士の剣術として講武所を通じて諸藩に普及されつつあった。

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