仏教との関係2
さて、上泉伊勢守は永禄9(1566)年5月に影目録4巻(燕飛・七太刀・三学・九箇)を石舟斎に相伝している。この第1巻燕飛には「凡そ兵法は・・・」と始まる有名な前書きがあり、インド・中国・日本の兵法の濫觴(らんしょう=起源)から説き起こし、新陰流の玄旨(深遠な道理)や兵法観が仏教的表現で論じられている。伊勢守の新陰流は単なる殺傷の技術ではなく、勢法を練ることによって無明を断ち安心を確立し、仏教的解脱をめざすと宣言しているのである。
香取神道流兵法では、香取の神話を題材にとり神道用語を用いたものとなっている。
一方、大東流柔術の基本理念である小野派一刀流については、伝書を見る限りいわゆる仏教用語も使われているが、新陰流兵法ほど思想的影響を受けていないようだ。ただ、小野次郎右衛門忠明は妙法蓮華経(法華信仰)に帰依していたとの情報もあり、一定程度の影響もあると思われるが、今後の研究課題である。ところで、小野派一刀流の伝書には金翅鳥王剣(こんじちょうおうけん)なる形がある。金翅鳥とは、サンスクリット名はガルダ(かるら)といい、インドの神話に登場する鳥類の王で竜を常食するとされ、密教においては梵天や大自在天の化身、あるいは文殊菩薩の化身といわれるものである。その勇姿と気位にあやかったものであろう。
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