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意外と自分が自分を責めている

夏の終わりに限らず学校は毎日行きたくなかったです。
保育園の頃に先生の目を盗んで園をバックれた事もありますし、小学校低学年時に登校拒否をした時期もありました。
大人になった今も仕事に行きたくない。
だるいは心の友です。

だから今回の募集は私にうってつけだと思ったのですけど
募集の記事を読んで愕然としました。

"8月下旬は10代の自殺が1年で一番多くなる時期"

逃げたくて仕方ない、つらい気持ちを死にたいと形容して言葉にしてしまう事もあるけど、私は本気で死のうとした事がない。
むしろ病気や突然の事故はもちろん自分の不注意で死んでしまうのも怖いくらい死にたくないです。
でも現実には死んでしまう様な事をして本当に死んでしまう子がいる。

小さい頃から続く私の憂鬱なんて小さくて呑気なものなのかもしれない。
私は恵まれた環境にあぐらをかき甘えをたれているだけなのでは
…まさに!
こういう事を思う事が、自分から元気を奪っている。
という事に最近気づきました。
憂鬱を抱える10代の皆さん、だけじゃなくそれ以外世代の皆さんにも。
憂鬱をお持ちの方にご確認を兼ねて読んでみていただきたいです。

「きっと誰かがこう思う」とか
「こんなのはだめだ」とか
そういうので自分の気持ちや行動を否定していくと、心の元気がなくなってしまう。

それは
「家族とか友達、好きな人大事な人が悲しむかもしれない」
とか、
「あいつマジ死んでほしいなんてそんなひどい事は思っちゃだめだ」
のようなどう考えてもそっちの意見の方が正しそうな時でもです。
どんな理由であれ自分の気持ちを否定したり捻じ曲げていくと、何がどうなっても満足できずいつもつらい自分になってしまう。

それに気づいたのはつい先日の事です。
病院を予約した時間の15分前に目が覚めてしまったんですね。
移動が全てスムーズにいっても20分少々、そこに出かける支度。
ひとまず慌ててキャンセルの電話を入れた後
私はものすごく落ち込みました。
こんな直前キャンセル、病院迷惑だろうな
1人診察できた分を自分の寝坊なんかで空けてしまった
こんな事絶対したくなかったのに
なんてだめな人間なのか
どんどん落ち込みながらふと思いました。
15分前にはなってしまったけど電話はした。
できる事はしたのでは?
電話の応対をしてくれた方が怒っていたりもしなかった。
注意も嫌味もなく声色は明るく業務的でとても丁寧だった。
人から受け取った否定はない。
寝坊もドタキャンもだめだったかもしれないけどできる事はした。
状況:解決済・次気をつけて
現状:ひとりでどんどん落ち込んでいる
何を落ち込んでいるのか 誰に責められているのか
え、自分!?

自分の中で
「こんな事はしてはいけない」を作りそれが遂行できなかった時、
「してはいけない事をしてしまっただめな自分」ができてしまう時がある。

保育園も小学も中学も遅刻時々バックレながら生きてきた私なのですが、時間にルーズになってしまう事へのコンプレックスはずっと強いので
「自分で入れた予定に寝坊なんて絶対したくない」という気持ちの土台に「そんな事をしてしまった情けない自分」が発動してしまったのでしょう。
知らない間にチクチク自分で自分を追い詰めるという事が起きうるのです。
些細な事でしたがそれをハッキリと体感しました。

対処法は、見つけたてなのでまだ模索中ですが
1. 自分の中で否定を感じ取れたら
2. 自分を否定したルールと本音を探しだし、
3. 「そうかもしれないけど」と付け加えて本音の方を心の中でめいっぱい主張する事
かなぁと思います。
その気持ちがたとえ殺したいとか死にたいとかみたいのでも。
心の中頭の中で思うのは自由です。
どんなに思っちゃいけない事が思い浮かんだとしても押さえ込んで選択肢が死ぬしかないの一択になるより絶対いいです。
行動に起こさなくてもそれができると物凄く軽くなります。
なのでまずは心の中で。
自分の心の中の窮屈なルールに瞬時に反発できるようになれたら、敵がすごく減った気がするわ生きてるのが楽になった気がするわでしょう。

まだできるようになってないので想像ですが。

ここまで書いてはみたけれど私のように心の中で本音がルールに圧迫されている人はいるのだろうか
過去の自分にこの話をしたら喜ぶのか
よくわかりません。
でもいるかもしれないので投稿してみます。

憂鬱なみなさん、
お互い乗り切っていきましょう

サポートとっても嬉しいです。制作環境の整備に使わせて頂きます。