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推薦図書企画の副産物

先日の「ボルボラ、yuya、戯言遣い、みーにん」によって行われた「推薦図書10冊リレー企画」は大変有意義だった。

各人が魅力的な図書を掲示してくださったので読むべき本が定まり、今後の読書活動がはかどるというものである。

さて、そんなわけで今後の読書方針が固まった結果となったわけだが、実は今回の企画においてはそれのみならず、思わぬ副産物を得ることとなった。
本日はこのことについて語ろうと思う。


推薦図書はいずれも魅力的な文体で紹介されており、どれをとっても読むべき価値があるように思われた。しかし、私がまず手に取ったのはボルボラ氏が紹介した「肉食の思想」であった。最初にこれを選んだのは、紹介文が魅力的というのもあるが、実は新書本ということもあって比較的すぐに読めそうだったからだ。安易な理由で申し訳ない。

読んでみた感想としてはなるほどボルボラ氏が紹介した通り、異文化間における食事文化の違いが如実に記されており、またそれ以外にも西洋と日本との肉食に対するアプローチの違いが、地理環境や歴史的経緯等を根拠に考察され、大変面白く読めた。

以上を持ってもこの本を読んだ意義はあったといえるが、しかし私がここで言いたいのは、この本そのものに対する感想というよりも、「私とボルボラ氏とが持った感想の違い」である。

氏がその推薦図書企画において、本書にフォーカスを当てたのは「異文化間における食事文化の違いと衝突」であった。しかし、私が興味を抱いたのは「肉食文化の差の根拠となった地理歴史環境」であった。

両者とも同一の書籍を読んでいるにもかかわらず、注目している点がこうも違うのである。どうしてだろうか?


氏は化学の徒である。日々薬品と向き合い検査機器に囲まれながら生活をしていらっしゃる。本棚も関連書籍が並べられているだろうし、そうとなれば化学分野において私が氏の後塵を拝することは間違いない。

対して私はというと、私の本棚には化学分野の書籍はほとんどみつからず、本棚を埋めるのは歴史地理関係の本ばかりだ(小説もあるが)。

もちろん本棚だけでその人の人格を推しはかろうとは思わないが、ある程度の人となりはうかがえるだろう。「本棚にどんな本が並んでいるかを見るとその人の性格が分かる」という言葉もある。我々の興味は異なるわけだ。そしてこのことが、我々が感想を異とする理由のヒントとなる。


思えば私が本書を読んでいる途中常々念頭に置いていたのは、ノルベルト・エリアス著:「文明化の過程」であった。この本では、ヨーロッパにおける人間の行動様式の変遷が、暴力の国家独占のプロセスとパラレルなものであると解説しており、例えば食事における食器やマナーが、国家がより近代化(文明化と説明される)していくにしたがって「非暴力的なもの」「身体的暴力を想起させないもの」(手づかみから始まり日用ナイフを経て食用ナイフとして完成する)へと移り変わっていく様を当時のマナー本を材料に詳細に記述している。そしてそこにはすくなからず肉食の思想の記述内容と被るところがあり、ために私はその点を比較しながら、つまり、歴史的知見を参照しながら「肉食の思想」を読んだのである。


氏は化学の徒であるからでして、ひょっとしたら「肉食の思想」においてでてきた各種畜産物のカロリー表に興味をそそられたのかもしれない。化学者には化学者ならではのものの見方というのがあるだろう。それと同様に、私は歴史を念頭に置きながらものをみる。これはどちらが優れているとか、そういう類の話ではない。単に興味関心が違うというだけである。

この関心の違いが、同一事象に対する認識の様式をある程度規定しているののだろう。いってみればメガネのレンズの色が各々違うようなものである。


私が今回の企画で得た副産物とは上記のようなものであった。人とはかくもことなり、同じものを見ていてもその実同じようには見ていない。各人の知的バックグラウンドに規定され、そらされ、べつのことを考える。


もちろんこれらのことはある程度歳を重ねればおのずと誰もが思い至ることだろう。ただ、思ってはいてもそれをこうして言葉としてまとめる機会というのはそうない。軽い気持ちで参加した今回の読書企画は、その機会を与えてくれたわけだ。そういう意味で、この企画に参加したありがたみを改めて感じ入る次第である。




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