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ふとまに 六十三 有能指導者コンビ
#ふとまに 六十三
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*読み下し
へのいさ の
ふね は をしゑ の
をおなむち
うえみぬきぬ お
かふり ゐさめつ
*書き下し
舳の斎の
船は教えの
大己貴
飢え見ぬ衣を
被り諫めつ
*語意
へのいさ の ふね【舳の斎の船】
先頭部が厳かな船 *鏡の船
*鏡の船
船首に**鏡を掛け、**真榊を飾った船。
**鏡は**真榊と同様「御上・公・中央政府」の象徴
をおなむち【大己貴】
大国主 (おおくにぬし)
うえみぬきぬ【飢え見ぬ衣】
憂き目を見ない衣服 困窮に遭わない衣服 染め飾り無き木綿の衣
*意訳
舳先に鏡を掲げた厳かな船に乗って現れた人物(スクナヒコナ=少彦名)から、さまざまな教えを賜り、出雲・善政の基としたヲオナムチ=大国主。
スクナヒコナは、華美贅沢や驕り昂りを諌めるかのように、『飢え見ぬ衣』=染めや飾りの無い無地の質素な木綿の衣を纏っておられたでありましょう。
*十楽註
ホツマツタヱにおいて、ヲオナムチ=オオナムチ=大国主命は、スクナヒコナ=少彦名命と一対・一体・ワンセットの神的存在として、意識的に描かれている —— と考えられています。
出雲・善政の誉として広く世に称えられながらも、後に過剰な権力の誇示・絢爛豪奢に走って、中央政府から咎めを受けることとなる"オオナ(多な)ムチ"に対して、謙虚で慎ましく、高い身分に甘んじることなく在野を巡って知徳を積み重ねた"スクナ(少な)ヒコナ"が、絶妙なコンビとして、各々の長短を補い合うクールな治世。
大国主命 & 少彦名命 —— 御両神(おんふたかみ)は、まさに力を合わせ、心を一つにして、出雲の天下をお治めになったのでした。
翻って、現代日本においても、決断力に長けたカリスマ宰相に、冷静沈着な補佐・調整役の副総理が寄り添って、硬軟賢く使い分け、ときに諸外国を煙に巻く狸親父振りを見せるような有能指導者コンビが現れ、したたかに策を弄して、"をやまとのくにたみ"(日本皇国=大いなる調和の国とその民)の実益に供していただきたいものです。
*『ホツマツタヱ』 該当箇所
ホツマツタヱ御機の九 八雲打ち琴作るアヤ
オオナムチとスクナヒコナ ~ 教ゑのユビを もれ落つる
ある時オオナムチが淡海のササ崎にいると、舳先に鏡を掲げた舟に乗った人物が漕ぎ寄せてきました。鏡の舟は天神一族の象徴であるから、オオナムチは湖岸から名を問い掛けましたが、その人物は答えずに黙々と舟を漕ぎ続けています。オオナムチの近習で、諸邦との連絡役にあるクヱヒコが、その人物を見知っていました。
「あの方は、子だくさんで知られたカンミムスビ(神産巣日神=ヤソキネ)の御子の中でも、安穏な貴族教育を嫌って早くから親元を離れ、諸邦を遍歴しながら研鑚を積み、今や万般に通じた高邁な人物として、評判の高いスクナヒコナ様に違いありません」
オオナムチは上陸したスクナヒコナ(少彦名神)を丁重に迎え、篤くもてなしました。スクナヒコナはオオナムチの薦めに応じてゆったりと滞在していたのですが、その内に、善政を敷くオオナムチが頭を悩ますような出来事があると、積極的に助力するようになりました。領民の間に流行病いが起きた時には、適切な処方を下して治癒させました。また、鳥獣が作物を害したり穂汚虫(稲虫)が稲を害した時、祓いを行なって作物を守るなど、神を呼び寄せて人々に加護を与えたのです。
スクナヒコナはこの地アワシマに滞在中、カダガキ打ちの琴歌を習い、逆にこの地域の人々が知らない雛祭りの儀式を教えました。
その後、スクナヒコナはこの地を離れ、加太の浦(和歌山市西北)に至って生涯を終え、淡島神社のご祭神として祀られました。
スクナヒコナから薫陶を得て善政への意欲を増したオオナムチは、一人領内を巡って、悪弊を改め、不足を補う努力を惜しみませんでした。ところで領内では毎年、穂汚虫の被害が激しく食料が不足しがちで、やむなく肉食を許していたので、領民の多くは太って早死にする傾向が目立っていました。
【参考資料】
![](https://assets.st-note.com/img/1646893514061-nORbO36luz.jpg?width=800)