”先生”
和笑十楽日乗
世の中には、肩書きで呼ばれると、ことのほか喜ぶひとがおりますな。私の知人にも、そういう御方がおられまして。
いえ、最近は、とんと、お目にかかっておらず、いわゆるSNS界隈でときどき、すれ違う程度です。
その御方は、他人さまを呼ぶときに、たいてい肩書きをつけます。
○○社長、**シェフ、++伯爵、@@師匠、……。
ま、構わないですよ、もちろん”一種の親しみ”を込めて、そのようにお呼びになるのでしょうから。
ただ、私のように何の肩書きもない人間に対しては”十楽さん”と呼ぶしかないようなので、ご自分だって、ちょっと白けるでしょうに。
みんな、”誰誰さん”と呼んでおれば、ほどほどに済む話しだと思うんですがねえ。
で、その御方は、どこかの大学で教鞭をとっておられるようですので、私は、あえて”先生”とお呼びしております。
この”先生”という肩書きは強力ですな。
”先生”と言えば、
医者
教師
宗教家
特別な技術を持つひと
政治家
などを呼ぶときに用いる肩書きですが、
政治家を”先生”と呼ぶのには、違和感がありますな。
だって、初当選した政治家になりたてのホヤホヤなんかにも、
いきなり”先生”って、ヘンじゃありませんか?
”先生”という呼称〜肩書きには、魔力があるのですよ、きっと。
医者にせよ、教師にせよ、あるいは、なりたてホヤホヤの政治家にせよ、”先生”と呼ばれるのに慣れてくると、然も、自分が偉くなったかのような、他の人たちが知らないことを知っている特別な存在になったかのような、他の人たちにはできないことをやってのけてしまえる特別なパワーを手に入れたかのような、独特な精神状態になるのですよ、おそらく。
怖い呼称〜肩書きですな、”先生”ってのは。
私は、田中角栄という歴史上の人物が好きです。
安倍晋三が52歳で首相に就任するまで、いわゆる戦後・最年少(54歳:1972年就任)の首相と言われていました。
田中角栄は、いわゆる戦前の学校制度で学んでいたので、単純な比較はできないのですが、義務教育であった尋常高等小学校(高小)を卒業後、現在の高校に相当する旧制中学校には進学しませんでした。土木建築関係の仕事に就きながら、中央工学校夜間部土木科(学校制度上の学校ではなかった)や、錦城商業学校で商事実務を学んでいたこともありましたが、田中角栄本人は、自分は義務教育しか出ていない(高小出身)と、そのことを”売り”にしていたようなところもあったようです。
田中角栄は、こんなことを言っています。
「みんな、オレのことを”先生、先生”と呼ぶが、誰のことかと思って、後ろを振り返ってしまう。”先生”などとは呼ばれたくないな。”先生”と言えば、やっぱり小学校のとき教わった”先生”だな。オレは、医者にも”先生”と呼んだことがないよ」
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