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AIについて [要は、人間の心があるかどうか]

AI=人工知能=Artificial Intelligence。
申しわけないのですが、碌なものではないというのが、私の直感。

私が生まれて、初めて映画館で観た映画は『2001年宇宙の旅』でした。
1968年のこと。私は、まだ小学校1年生。7歳の誕生日前でした。東京・銀座の”テアトル東京”にて。超満員。最後方から立ち見でした。
観たことは、はっきり覚えていますが、内容は、何が何だか全く解らなかった。

私は映画が大好きで、『2001年宇宙の旅』は、その後、私が何度も繰り返し繰り返し観た映画のひとつです。
歴史的・天才的・世にふたつとない名作中の名作です。

人工知能と人間との哲学的課題は、疾うに問われていたオーソドックスなテーマです。
私は、すでに結論は出ていると思っています。
人工知能など、碌なものではない、と。

AIなるものの能力が肥大化すれば、知能に限界がある人間の側がAIに制御される危険性が高いことは、自明であります。
AIなるものに判断を求めることは、それが如何なるテーマであろうと、非常に危険であります。
AIなるものの電源は、常時、如何なるときも人間のみが管理することは、絶対であらねばなりません。
説明が要りますか?
要らんでしょう。
当たり前のことだから。
議論の余地はありません。

伝え聞く、AIに関する展望は、要するに、総ての人間の個人的・経済的・社会的生活/活動の一切を、いわゆる DX (Digitai-transformation) に委ね、その一元管理をAIに任せる、という、とんでもない構想の下にあるのでしょう。
ダメですイケマセン。
私は、断固、拒否します。
でもどうせ、拒否すれば生きていけない世の中にしてしまおうとしているんでしょ、超支配勢力の連中は?
はっきり言って、そういうやりかたが、そもそも生理的に合わない、私は。
虫酸が走るったぁこのことでい、べらんめえ
🤗

強制するな。
俺たちみんな自由だね。
自分の好きにさせろ。
強制するな。
俺が言いてえのはそれだけだ。

世の中の(自称)エリートで、自惚れている野郎どもにゃあ、人間の心ってえものが分からねえんだな。
アタマはそこそこいいんだろうから、AIがどれだけ素晴らしい機序を展開できるかとか、次代・新文明の大発展の鍵になるんだとかよ、いろんな知識を蓄えて絶賛し、AI讃歌を高らかに詠唱するんだろうな。
でもよ、思考はそこまで止まりよ。人間の心が分からねえ奴だったらな。

人間の心が本当に分かるエリートさんだったらよ、AIなんざぁ、ただのつまらねえ道具にすぎねえんだから、あんまり利口にしねえほうがマシだよ、ぐれえのこたあ、ちゃ〜んと分かってくれてぇると思うぜ。

要は、人間の心があるかどうかなんだよ😇

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