見出し画像

歴史の岩戸開き(52)~「神の大仕掛け」が30年ズレた理由

以前、note記事で135世深草秦氏統理・土御門兼嗣(つちみかど・かねつぐ)氏のお話として、「時代の転換点が予定より30年ほどズレている」というお話を紹介しました。

「時代の転換点」は、大自然の法則=時代の流れが生み出しているものであり、世界大動乱の後に現出するのが『日月神示』の説く「ミロクの世」ということになります。

土御門氏のお話によると「予定より30年ほどズレている」ということですから、ほんらいであれば「ミロクの世」は30年ほど前から開始されていたはずであったということになります。

30年ほど前といえば、現在は2024年(令和6年)ですので、30年前は1994年(平成6年)ということになり、予定では1994年から「ミロクの世」が開始される予定であったということになります。

以下、「もともとの歴史の転換点は1994年であった」と仮定して考察を進めます。

では、なぜ30年ほどズレてしまったのか。

それは「大自然の法則=時代が転換することに抵抗・反対した勢力がいたから」と考えます。

いま過去の歴史をふり返ってみますと、たしかに30年ほど前は「激動の時代」と言われたように、世界が大きく動き出そうとしていたことが思い出されます。

旧ソ連解体による米ソ冷戦構造の終結、ベルリンの壁崩壊にはじまる東欧諸国の共産主義の崩壊そして東西ドイツの統一、共産中国下における天安門事件に代表される民主化運動、また日本ではバブル崩壊による金融恐慌の勃発など、日々めまぐるしく世界情勢が変化していました。

ところが、世界は転換することができませんでした。

それは、さきほどお話したように「大自然の法則=時代の流れに抵抗・反対した勢力がいた」からですが、それは誰かと言えば「米国の背後に存在していた隠れ支配層=ディープステート」ということになります。

前回、現在は幕末日本の世界拡大版、世界規模の「幕末現象」にあると述べました。
そして、世界規模の「幕末現象」において世界幕府を担当しているのが、いわゆる「ディープステート」であることもお話しました。

過去、幕末日本においては徳川幕府が「大政奉還」を宣言し、政権を朝廷に返上することで、みずから徳川の世に幕を引きました。
ところが世界幕府の大権を与えられていたはずの世界征夷大将軍「ディープステート」は大政奉還することを拒否し、みずからの政権を延命させる道を選びました。

もともと冷戦=米ソ二極構造は暫定的に作られた対立構造で、いわば米ソは依存関係にあり、一方が潰れれば、もう一方も自動的に消滅する仕組みになっていたはずです。
ところが世界幕府「ディープステート」は権力を手放すのが惜しくなったのか、あるいは、もともと手放すつもりはなかったのか、これに抵抗したと考えます。

その顕著なあらわれが1991年(平成3年)1月に勃発した「湾岸戦争」です。

「湾岸戦争」が彼らの常套手段ともいえる執拗なプロパガンダにより、「イラク=民主主義の敵=民衆を苦しめる独裁国家」「サダム・フセイン=独裁者=悪者」というイメージを徹底的に作り上げ、米国(ディープステート)が中心となった多国籍軍が圧倒的戦力でイラクを一方的に叩き潰しました。

「湾岸戦争」が「つくられた戦争」であったことの典型が「ナイラ証言」です。

のちにウソの証言であることが露呈した、イラクの残虐非道ぶりを訴えた少女の涙ながらの証言が、米国民および国際世論のイラクに対する嫌悪感を一気に増幅させて、米国の軍事進攻を正当化させるきっかけとなりました。

ナイラ証言とは、イラクによるクウェート侵攻の後、「ナイラ」を名乗る少女が行った証言。

イラク軍兵士がクウェートにおいて、新生児を死に至らしめていると涙ながらに述べたこの証言により、国際的に反イラク感情とイラクへの批判が高まり、湾岸戦争の引き金ともなった。しかし後に「ナイラ」なる女性は存在せず、クウェート・アメリカ政府の意を受けた反イラク扇動キャンペーンの一環であったことが判明し、今ではプロパガンダの一例としてしばしば採り上げられる。

(ウィキペディアより引用)

これにより、世界が一つにまとまろうとしていた流れはせき止められて、争いと対立の世が引き延ばされることとなりました。

また1991年と言えば、旧ソ連でも政変のあった年で、国内の改革を進めていたミハイル・ゴルバチョフ大統領(元書記長)が8月19日にクーデターによって軟禁され(ソ連8月クーデター)、以降は政治的ライバルとされたボリス・エリツィンが主導してソ連共産党の活動停止、ソ連邦解体が進められ、ゴルバチョフは同年12月最後のテレビ演説で「私は不安を残して去る」と述べて政治の舞台から降りることとなります。

(「ソ連8月クーデター」ウィキペディアより)

なお「明治維新は200年計画」であるとして、もともとの200年計画の収束年が1994年であったと仮定した場合、200年前は1794年(寛政6年)となり、光格天皇の御世となります。

光格天皇の御世と言えば、白頭狸先生こと落合莞爾先生『明治維新の極秘計画』『ワンワールドと明治維新』で詳述されているように、きたるべき近代化および帝国主義時代に対応すべく、朝廷と徳川幕府が密に連携して、明治維新の極秘計画を具体的に開始したのが光格天皇の御世からですので、もともとの「200年計画」の収束点は1994年であったと仮定することは、あながち見当外れではないように思います。

なお1794年周辺の世界情勢を調べると、1789年に勃発したフランス革命は当時ロベスピエールによる恐怖政治(ギロチン政治)が布かれており、それに反発した勢力が1794年にクーデターを起こしロベスピエールは失脚、断頭台の露と消えた「テルミドールの反動(テルミドール9日のクーデター)」が起きた年です。

この「テルミドールの反動」をもって市民革命としてのフランス革命は実質的に終焉したとされ、以降は、革命の混乱をおさめた英雄ナポレオン=ボナパルトが台頭してくることになります。

(「ロベスピエールの逮捕」ウィキペディアより)
(「若き日のナポレオン」ウィキペディアより)

かたやアメリカでは、1776年にイギリスからの独立を宣言したアメリカが独立戦争を勝ち抜いて、1783年パリ講和条約で正式にイギリスから独立を承認されたのち、アメリカ北西部を支配下におさめるべく「北西インディアン戦争(1785-1795)」を展開していた年でした。

(「グリーンヴィル条約の交渉の想像図」ウィキペディアより)

以上、「もともとの歴史の転換点は1994年であった」と仮定して考察をすすめて来ましたが、すべては予定どおりに進行しており、もとから歴史の収束点は2025年から2026年であったという仮定も、もちろん可能です。

ただ、個人的には冒頭の土御門氏の「予定が30年ほどズレた」というお話がとても印象に残ったので「もしも1994年がほんらいの歴史の転換点だったとしたら」と仮定して当時の世界情勢をふり返ってみたところ、時代の流れ、歴史の転換に逆行するような動き、反動的な動きがみられたので紹介しました。

では、いわゆる「ディープステート」がいつ頃から反動的な動きを本格化しはじめたのかというと、それは1971年の金とドルの交換の禁止(ニクソン・ショック)によるブレトンウッズ体制の崩壊で、このことにより金に裏付けされていない独自の通貨=「覇道通貨」を手にしたディープステートが猛威を奮い出し、その暴走を食い止めるべく、日本を犠牲にして、共産中国を経済大国として台頭させる「捨身の一手」、白頭狸先生が洞察される「一の國體秘策」が講じられた、と考えることもできるかと思います。

一般的には、「グローバリズム」対「反グローバリズム」という見方がされますが、大自然の法則=時代の流れから観れば、本流は「反グローバリズム」のほうであり、じつは「グローバリズム」のほうが時代の流れに逆行・抵抗している反対勢力であると観ることができます。

現時点において両者の勢力は均衡しており、どちらの価値観、どちらの未来を選ぶかは、私たち一人ひとりの「判断」に委ねられています。

その意味で2024年は地球人類全員が参加して自分たちの未来を決める「人類総選挙」の年と言えるかと思います。皆さんはどちらを選択されるでしょうか。

ご参考になれば幸いです。

頓首謹言











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?