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北海道瀬棚郡利別村河島家のルーツを辿る(9)(白頭狸先生著『京都皇統と東京皇室の極秘関係』を読む番外)

ご先祖様である郡上髙嶋家家祖・髙嶋市郎兵衛が応永4年(1397年)に白山中宮長瀧寺を尋ね、現在の岐阜県郡上市白鳥町二日町に居を構えて以来、明治31年(1898年)に髙嶋家分家である曾祖父佐太郎が北海道に渡道するまで凡そ500年間を同地で過ごしたわけですが、あらためて岐阜県郡上市白鳥町二日町の場所について確認しておきたいと思います。

まず岐阜県は本州のほぼ中央に位置する県となっております。

(ウィキペディアより転載)

現在の岐阜県は21市19町2村で構成されており、岐阜県の真ん中あたりにあるのが郡上市となります。


(ウィキペディアより転載)

郡上市は「平成の大合併」と呼ばれた大規模な市町村合併の流れのなか、平成16(2004年)に7つの町村が合併して誕生しましたが、郡上市の北西に位置するのが白鳥町となります。

(郡上市ホームページより転載)

合併前の白鳥町は昭和31(1956年)4月に北濃(ほくのう)村・白鳥(しらとり)町・牛道(うしみち)村の3町村が合併して発足され、続いて同年10月に福井県大野郡に属していた石徹白(いとしろ)村の大部分が編入されています。なお石徹白村は、白山中居(ちゅうきょ)神社の神領として全村が社家社人の村で、無税、名字帯刀を許されており、独自の文化伝統を持つ地域として知られております。

(郡上市ホームページより転載)

郡上市白鳥町二日町は、北濃村に属していた地域ですが、北濃村は明治30(1897年)4月に、5つの村が合併して発足されました。すなわち前谷(まえだに)村、歩岐島(ほきじま)村、長滝(ながたき)村、二日町(ふつかまち)村、向小駄良(むかいこだら)村の5カ村であり、郡上髙嶋家は二日町村に存していたことになります。

(『白鳥町史・通史編上巻』より転載)

二日町村は、白山中宮長瀧寺の玄関口にあたる村で、その村名から推察されるように2の付く日に市が開かれていたことに由来すると思われますが、『白鳥町史』によりますと二日町は別名”む市場”と呼ばれ、ひと月に六回市場が開かれていたと伝えられているようです。

平成4(2002年)9月下旬から10月初旬にかけて叔父が企画してご先祖様の故地を訪問した際に、何枚かの古文書のコピーを受け取っており、そのうちの一枚が以下の写真となります。

(拾得撮影)

「天明九酉年 二日町村
本田新田名寄帳
正月 市郎兵衛」

「本田(ほんでん)」とは、『日本国語大辞典』によると、最初の検地帳に登録された田地のことか、もしくは元禄年間(1688~1704年)以前に検地を受けた田畑、屋敷のこととあります。「新田(しんでん)」は新たに開発した農地のことです。

「名寄帳」とは、個人が所有する土地田畑を記録した文書とのことですが、「検地帳」が土地ごとに石高、所有者が記録されているのに対し、「名寄帳」は個人を主体として、その個人が所有する土地田畑の場所、石高が記録されてあります。

古文書を読む知識をまったく持ち合わせていない私めが、今年の5月初旬に文書のコピーを受け取って以来、四苦八苦しながら解読することができたのは、人文学オープンデータ共用利用センター様が公開されている「日本古典籍くずし字データセット」と、個人でサイトを無料公開されている「AI手書きくずし字検索」のおかげでございます。誠に有難うございます。

(白頭狸先生のnote記事より転載)

頓首謹言



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