歴史の岩戸開き(50)~法律ではなく「自律」によって治まっていた国・日本
他の方が執筆されているnote記事をパラパラとながめていたところ、山本七平(やまもと・しちへい)氏の『日本人と「日本病」』を引用した記事があり、その内容が、江戸時代における日本の統治のあり方をおしえてくれていて興味深かったのでご紹介します。
ここに登場する「白石」とは、「正徳の治」で有名な新井白石(あらい・はくせき)のことです。
「シドチ」と呼ばれたヨワン・パッティスタ・シローテ(ウィキペディアではジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ)はイタリアのキリスト教宣教師で、布教のために禁教政策下の日本に潜入したところ捕らえられ、江戸に護送されたのち、新井白石から尋問を受けることとなりました。
シドチと対座した白石は、その人格の高潔なることに胸を打たれ、「彼もまた士ならずや」と感嘆し、シドチと多くの学問的対話をおこなった、とあります。その対話をもとに白石が著したのが『西洋紀聞』や『采覧異言』とのことです。
この対話で面白いところは、イタリアからやってきたシドチは、自分の国がそうであるように、日本にも法律というものが存在しているはずであると思い込んで、「法律を破るつもりはない」と弁明したわけですが、これに対して白石が「日本には法律がない」と回答したというところです。
つづけて白石は、日本は「教えて治に至る」国であり、徳育をとおして社会秩序を形づくっている国なのであるから、その「教え」のなかに、当時、異教として禁止されていたキリスト教思想が混入することは弊害が生じると回答しています。
このことからわかることは、明治維新によって立憲君主制となる前の日本は、憲法や法律がなくても「教え」によって自律した秩序を形づくることができる国であった、ということです。
日本には法律がない(なかった)という新井白石の話は、わたしが漠然と考えていた「日本社会にとって法律はいろいろな意味で邪魔なのではないか」という思いに符合した気がして、とても興味深く感じました。
極論を承知で言えば、わたしは法治主義者ならぬ「無法治主義者」であり、法律があることでかえって、政治の変革が遅々として進まず、真面目で良心的な人たち(おもに官僚や公務員)を法律でがんじがらめに縛り上げ、身動きが取れないようにしているのではないかと思っています。
そのいっぽうで、法律で決まった以上はそれに従わなければならないという不条理や、法律に違反していないのだから何をしても良いとふんぞりかえる恥知らずや、法の網の目をくぐり抜けるような姑息な手段を弄する痴れ者を生み出す要因ともなっています。
ですので、このさい法律などなくしてしまって自己裁量でやらせれば良いと短絡的に思っています。
法律が無くなったら社会の秩序がめちゃくちゃになると考えるのは日本社会の実態を理解していない人の理屈で、法律があってもなくても多くの日本国民は自らを律して社会秩序を維持することを考えて行動していますし、おなじく法律があってもなくても他人に迷惑を掛けるような人はかならず出てきます。
日本において法律が必要であるとすれば「他人に迷惑を掛けた場合、その掛けた度合いに応じて罰せられる」という条文さえあれば十分です。
なぜ日本国民が自律した社会秩序を形づくることができるかといえば、天の法、人の道といったものが社会全体に共通認識として空気のようにごく自然に存在しているからです。
では、なぜ社会全体に天の法、人の道というものが共通認識としてごく自然に存在しているのかといえば、それは天の法、人の道の体現者としての「天皇(スメラミコト)」が御坐(おわ)せられるからということになります。
極論ついでに言えば、現在の、多数決の論理で動いている民主主義というより「数の暴力主義」である議会制民主主義はそうそうに廃止して、ほんとうに民主主義でやりたいのであれば、どれほど小さい政党であっても一党でも反対意見があればお互いが納得するまで徹底的に議論し合って結論を出す、そして結論が出た以上、その結論には議員および国民が責任を負う、ということにすれば良いと思います。
なかには反対することだけを目的とする政党もあるので、その場合は、もともと結論を出す気がないわけですから、その議論からは外れてもらう。これこそ「広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ」の精神ではないでしょうか。
明治維新前の日本の統治のあり方について論じながら、最後は明治維新で発布された「五箇条の御誓文」でまとめようとするところが何ともチグハグですがご勘弁ください。
ご参考になれば幸いです。
頓首謹言
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?