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脈絡もなきペンギンでは茶を濁せぬ夏かな。

日々。

脈絡なくいろいろなことに手を出しているようでいて、実は根底で繋がっている…というわけでは必ずしもない。
うっかり繋がったらハッピー&ラッキーなのだが。
残念ながら、人生には、時間と労力を注いでトライしたのに血肉にならないことがいくらでもある。 
 
たとえば継続したいと考えて、ちょっとだけ手を出した物事がわたしにも数えきれないほどある。

ストイックになりたての頃は、そういえばそのことが許せなかった。
でも今は、その何にもならなかったモザイクの一片を愛することができる。
そして自分を許すことができると、他人も許せる。そのことで、だいぶ自由になった。
 
 
一朝一夕ではならなかった/ならないが、やっとのことで味方につけた身体が、
形而上と形而下をつなぐものとして身体が、常に「お前はばかだよ」と教えてくれる。

机上の空論で閃いたアイディアもどきを、理解したつもりで表面をこねくり回していただけの理論を、
身体は空間は、いつでも清々しいくらい、木っ端微塵にしてくれる。

そして「自分が何も知らない」ことを思い知らされる。
音楽をパートナーに、身体を考え始めてからずっと、
スタジオに入るたびに、何度でも何度でも。

 
小林秀雄の言だが、勇ましいものはいつも滑稽だ。
自らの愚かさを最後まで決して許さず、そのために変化し続けようとすること。

変容の過程で、一時的に「ばか」になることをよしとする、本当の意味のプライド。

未完成を、受容すること。
滑稽であってもいい。ばかであってもいい。
私には失うものがない。


#エッセイ  

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