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プリンスのこと

プリンスが死んだ。

それを知ってから、何の不足もないハードでハッピーな日々を過ごしていたはずなのに、何をしていてもなんとなく心身が重たい。食欲はなくなり2,3日眠れない日が続いた。はじめは、まさかその不調がプリンスの訃報に起因しているなどとは夢にも思わなかった。

プリンスとは言うまでもなく面識がない。コンサートに足を運んだこともないしCDすら持っていない。それどころか、曲だって2曲しか知らない。たったの2曲。それなのに、最近は仕事をしていても食事をしていても気がつけばプリンスのことを考えている。さすがにもう睡眠も食事もとれるが、ついついネットに溢れるプリンスの追悼記事を開いてしまう。そして友人がツイッタに流したプリンス関連ポストに無駄に反応しては涙ぐんでみたり。

わたしにとってプリンスとは一体なんだったのか。本当になんなのだろうか?見当もつかぬままこうしてノートを書いている。とりとめもない言葉がどこかに連れて行ってくれることを信じて。

わたしにとって、プリンスといえばまずPurple Rain、言わずと知れた名曲だ。ギタリストの友人と遊びでこの曲をカバーしたとき、わたしはシンセを弾きうたを歌った。keyはDにした。原曲はB♭M。DとB♭ぶんの距離が、きっとわたしとプリンスの間に横たわっているとかいないとか。

もう一曲、忘れられない曲がある。正確には忘れたことにしたいのに、忘れさせてくれない曲。それがSometimes it snows in Aprilだ。検索すれば詳細かつ分かりやすい情報が簡単に手に入るので曲に関するパブリックな薀蓄は書かない。
その代わり、限りなくパーソナルで、口に出したことすらない時間の記憶を書いてみようと思う。

何年か前の、大雪の日だった。

中央線が雪の影響を受けて運行を停止した。まさかそんな大事になるとは思わず、のこのこ都心に出かけてまんまと足止めをくらったわたしは、駅前の、当時よく足を運んでいたバーで炭酸の入った水と珈琲を交互に飲んでいた。圧倒的にあたたかい店内から、どんどん白くなっていく外を眺めているのは端的に言って最高の気分だった。雪がすごいなーなどと浮かれて、たまに外に出てみたりしながら、他人事のように、飽きることなくいつまでも外を見ていた。そうこうしているうちに超早朝、閉店の時刻が訪れる。唐突に当事者となったわたしは、少しの間逡巡したのち、いよいよ、真っ白な雪の中に足を踏み入れることを決意した。
早朝で、大雪で、当然周囲を見渡しても人っ子ひとり見当たらない。胸のすくほど静かな住宅街を、明らかに雪の中を歩くべきではない靴と洋服で闊歩した。でもそれほど寒くはなく、むしろあたたかい気さえしていて、植木に積もった雪を除けてみたりしながら歩いた。
決して広くはない道路は、一面降りたての雪ですんとしている。ときどき、なんとなくそうしなければいけない気がして、路地の行き止まりの写真を撮ってみたりもした。いつも通る平凡な道が今日は白いな記念の写真。
そのあいだじゅうわたしはSometimes it snows in Aprilを流していた。白くて四角かったiPhoneから、控えめに、でも確かに自分ともう1人の耳に届くような音量で。
一曲だけ、ずっと同じ曲を延々と繰り返した。原曲ではなく、名前も知らない女声2人の、最高のアレンジだった。

擦り切れるほど聴いていたその曲をiPhoneと一緒に口ずさみながら歩いていると、たまに並木の木の上のほうから、透明な傘目掛けて雪の塊が落ちてきた。でもその当時はわたしは確固たるものに守られていたので、それを避ける必要さえなかった。寒かったけれど、寒さに負ける気がしなかった。あのとき、望んでいたものがすべて目前にある気がしていた。今思えば、あれがそんなふうに真っ白でいられた最後の夜だったのかもしれない。

あれ以来、わたしの住む街に雪が積もったことはない。あの曲は、わたしにとってのプリンスであると同時に、あの頃そのものなのだ。
人生には、と書くと少し大袈裟だが、失わなければいけない記憶がある。失ってはじめて、それを忘れ去ることではじめて、血肉となり自らを生かす記憶がある。かつての選択を捨てるとき、喪失は二度繰り返される。

プリンスが死んだ。わたしは岐路に立っている。あの大雪の夜に、足取り軽く、迷わず進んだはずの方向を、もう一度きちんと失わなければならない。プリンスを失うことで、何を失ったのか。答えはすぐそこにある。
でもわたしは気づかないふりをして、今日も白くない道を歩む。


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