あとは任せた、明日の自分!
何度も何度も「待ち遠しい」を繰り返していたはずの夏。気づけばわたしは季節のど真ん中にいて、こぼれ落ちるセリフはいつのまにか「暑い」に変わっていた。
人生で一度きりの2021夏に、茹だるような暑さ のみが記憶として刻まれてゆくのは御免である。ジャンルを問わず、何かを成し遂げたい…と思いつつ もう8月8日…おっと、見覚えのある数字だ。
どうやらトクベツな日に筆を取ることを無意識のうちにしているようで、今回もまた同じように 自然と心が向かった。出会いの話をするべきところではあると思うが、ここは敢えて、違う話をしよう。
既に出会っていて、なおかつ馴染みのある物事の本質を、ふと見つめ直したくなることがあるだろう。わたしは最近、それをもろに食らったのだ。それが以下の諺だ。
" 二兎を追う者は一兎をも得ず "
二羽の兎を同時に捕まえようとする者は、結局は一羽も捕まえられないということからいった西洋のことわざ。
二つの物事を欲ばってどちらも失敗したり、中途半端に終わるものである。
また、一つの物事に集中せずあちらこちらに気を取られることへの戒めの意味を込めて使うことも多い。
端的にわたしの見解を述べると、「果たして本当にそうなのか」ということである。
これまでも繰り返し述べているように、わたしは先生になりたい。このゴールは大きな一つのものであるが、そこに至るまでにはいくつもの小目標・通過点がある。そもそも 大目標ですら長い人生で見ると通過点に過ぎない気がするが、今のわたしからすれば背丈よりも遥かに大きなゴールなので、ここでは単体と見なしている。
小目標も 過ぎれば次が来る、を永遠に繰り返せたのなら良いのだが、いくつかの物事を同時にこなさなければいけない。それだけでなく、日常生活をも含めると 現時点でも非常に多くの物事を同時に抱え生きている。
人間は、実に欲張りである。
どんなことがあろうとわたしは 嘆きにも、さだめにも抗いたいので 何とかして二兎を手に入れる方法はないかと試行錯誤する。そうしてたどり着く答えは必然的に「二兎も三兎も得られる」というものになる。
根拠は後付けでもいいかな、なんてのんきなことを言うのにも 理由がないわけではない。今の自分が出来ないことは、明日以降の自分が何とかしてくれるはずだから。間違いなく、今日の自分より明日の自分は成長しているから。なんとかしてくれるだろう、明日の自分。任せたぞ、明日の自分!
せっかくなので、2年前のお話もしよう。
2年前、わたしは受験戦争を必死にすり抜けようとして 何もかもシャットダウンしていた(過去のnote参照:https://note.com/justyoujump/n/na55b9547d7e6)
決意の春を越えたら、試練の夏がやってきた。
シャットダウンしたはいいものの、向き合う対象に焦点を合わせざるを得ない環境に自分を落とし込んだも同然。
模試に行く前の胃痛・走るペンの音・夏の暑さ・目の前にある 目標とかけ離れた点数の紙たち…
憂鬱を煽る要素は十分にあったけれど、当の本人は至って前向きであった。なぜなら自分という存在を信じることに決めていたからである。
言うまでもなくきっかけは彼らなのだが、わたしはどちらかというと「彼らを見て自信が持てた」というより「彼らのようになりたい」という気持ちが強かった。あの姿を自分に映せば、無敵になれた。自分の道のりを一番わかっているのは自分しかいない。卓越したものは突然手に入るわけではない。自分の歩んできた道が、導く。
ええ?なんでなりたいかって?
だって彼ら、あまりにもかっこいいのだもの。
スーパーヒーローに違いないんだ。
欲張りといいつつ、まだ夢があった。
わたしも誰かのヒーローになりたい。
「自信」は自分を信じる、と書くけれど自分が信じるものにはそれを宿すことができるのかな〜なんて思う。なんでもできる、と大口は叩くことができないが 結果は自分が連れてくるものであるから、自信はあるに越したことはない。
だからといって、信じすぎるのも毒なのかもしれない。でも、この方向性の疑問を持つのは、自身に対してだけでいい。
過剰な意識と言われようが、自分に関わることに関して責任を取り切るのは自分なので、気にする必要もないだろう。
同じように、他の人の自信も疑ってはならぬ。築き上げた道のりは、神のみぞ知る?いや、自分のみぞ知る。
あの夏に見た眼差しに重ねた自信は、誇りを持てるものである。ヒーローにはまだまだ程遠いのだけどね!
各々が過ごした2年前の今日を、どう振り返っているだろう。あの時の気持ちを引き出すのは容易なことではない。悔やむことがあるのかもしれないが、わたしは、今の人生を作る上で何も欠いてはいけないな〜とぼんやり思うばかりである。
こんなにも沢山の人と過ごせる今が、アンサーだ。
然るべきタイミングで出逢って、まるで恋のように堕ちていって、気づけばここにいる。運命を語るようなストーリーラインを誰もが持っている。それでいい、それがいい。間違いなくオンリーワンじゃないか。
出会ってくれてありがとう、これからも末長くよろしく を永遠に繰り返して年数を重ねゆくビジョンを描く。人生の中で彼らのいなかった瞬間の方が短くなっていく。なんて幸せなカウント。
なんだか狂おしいほどに悲観さがないな。至って正常であるのに。
2021の夏に寄せた期待は、間違いなく自分の人生を彩っている。学童で駆け回る子供の背中を見つめながら、頭の中に流れるヤムヤムに乗ってしまう。「先生、すのーまん好きなんでしょ!」「そう、先生は誰好きでしょう?」「関西弁のお兄さん!」「正解(笑)」と、愉快な会話は続いてゆく。「お鼻が好き!」そうかそうか、次は指先の魅力についても教えてあげよう……
植えた向日葵の種も無事に芽を出して、鮮やかに咲き誇っている。嬉しい景色の中にいるのは、昨日の自分のおかげ。それが続くことを願えるのは、今日の自分のおかげ。
来年の今日は、どんな日になっているかな。
きっとなんとかなるか!ありのままの自分でいよう。
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