何かを知りたいと思うことについて
何かを知りたいと思って、真剣に勉強した経験が皆無である。
学生時代にはそれなりに成績が良かったのだが、それはあくまで学校の勉強の話である。大人になってみると、実に色々なことが不思議に思われてくる。
コンビニに行く。そこで店員さんと顔を合わせ、瞬時に買い物を終え、部屋に帰ってくる。最近、僕が奇妙に思っているのは、「自分の部屋」というものについてだ。
最近、僕は自分の部屋に対して、「妙な親密感」を持つようになっている。妙な、とつけたのは、この感覚に自分でもまだうまく馴染めていないからなのだ。
自分の部屋に、ひどくプライベートな空気が流れている気がする。自分の部屋にいるのに、リラックスしたような気分になることができるのだ。
こういう言い方は奇妙だが、かつて、僕にとって、一番居心地の悪い空間、それが自分の部屋だったからなのだ。
こうした経緯には、これまでに書いた、「自我」が希薄だったことが関係しているのだと思う。
学生時代にカフェで夜通し本を読んで、夜明かししたりした記憶が蘇る。
自分の部屋というものを持つことができるようになって、初めて、「そこに人を招く」という概念も生まれてくる。
これまで、僕は自分の部屋にさして警戒心もなく、押しかけてきた友人を入れていたが、これからは、しかるべき関係になった人だけを招くことになり、そこに親密な空気が流れていることを期待するだろう。ここは、俺が守っている砦であり、ここに招くことができるのは、俺がジャッジを下し、OKを出した相手だけなのだ。そう思うと、非常に驚きの感覚がある。
僕が何かを学びたいと最近思いだしたのも、こうした驚きの感覚と連動している。「自分の部屋」という概念の不思議さから出発して、「他人」、「世界」といったものが驚きに変わったのかもしれない。
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