Justive7 沿革-2018
Twitterを追いかけてわかるJustive7のなんたるか?
荒野行動 以前 シューティングにちなんだゲームについて
2005年 PCゲームであるBF2にハマる ハマると言ってもたかがしれている
2009年 メトロイドプライムハンター(NintendoDS)にハマる ハマると言ってもうまくはない
2012年 モダンコンバット2、3にハマる ハマると言っても下手もいいところ
2013年 XBOX360でBO2にハマる ハマると言ってもKDR1
この間 ゲームはほとんどしていない
2017年3月 PUBGリリース そして、DTNにハマる
2017年10月 ドラゴンクエストライバルズ(カードゲーム)
待望のドラクエカードゲームが出るも、課金しないとレジェンドカードを揃えられないのでなんか冷めながらアグロデッキでラダーしていた ちなみに下手
荒野行動以後 2017 2018
2017年10月 荒野行動リリース
ドラゴンクエストライバルズがメンコとしか思えなく、そのままそちらは辞め、荒野行動にハマる。
2017年12月 荒野行動での友達が出来始め、本格的に沼に足を踏み入れる。
てんてんという自分より強い存在にモチベーションを刺激される。
若かりし日の超無課金さん「勝てたらなんでもプレゼントするよ」にてんてんと参加する。
そのてんてんは強さ故にチームに勧誘され、遊んでくれなくなる。
野良マッチ大好き人間。えんえんと野良を回していました。フレンドは今だとラスクさんとか少年Jとかと遊んでたり…今残ってるひとはあんまりいないなあ。かぴばらだとか。
まあキルレもこれくらい、めちゃくちゃ強いひとたちは平均が4あるだとか、撃破得点(キルすると上がって、キルできないと下がる数字 初期値1200)が2000越えてたらすごいみたいな時代。シーズンが2になり、キルレ上げるのを頑張るぞと初めて意気込んだ。
すごい懐かしいものを発掘してしまった。こんなことやってたんだなあと。ちなみにサッカーのことは全然知らないしほとんどボロ負けした記憶しかない。
荒野の光見に行った。ここで広げた人脈はJKデズさん、アイダマン…実はしのあさんも間近に見たのだけど、自分はこのときフォロワー500人もいない人だったし声も掛けていない。
Justive7は自分でなにか作るのがとても好きである。人に頼めない性格とも言う。
まあちょっと今となっては触れにくいけど。ルームが観戦出来た時代で、大会を観戦するのがとてもおもしろかった。ぶるーさんの観戦に人が来すぎてラグいから観戦に来ないでほしいみたいなお願い、今聞いたら笑ってしまうよね。
戦績作るのってたのしかったよなあ。今となっては考えられないことがとても悲しいのだけれど。ゲームを楽しむことを忘れてはいないか?
大会で車を活用する動きというのはあまりされていないように見えたので、そういう点にはかなり注目していた。
当時は猛者でもなんでもなかったが、ラスクさんだとか少年Jあたりと仲が良かったのでそのあたり繋がりで主催のにまかゆさんに認知されていた。これはかなり重要なポイント。
youtube始めた。高画質でキル集みたいって言われたので。
初めて仏さんと荒野行動した。デパート降りて、北上して…って試合で。このときはお互いiPhone7だった。
なるほど、こういうツイートは面白いよね。反応を見て気づいたこと。方向性はきちんと定まった。
今でもそう思います。
JKのマネージャー「きんぐぅ」さんによって開かれるきんぐぅルーム。迅速新マップARのみ。Mirrativ配信。これが本当におもしろくて、猛者と遊べる数少ないチャンスだった。どそみょそは荒野の光で仲良くなったけど、このあたりの人たちとはここで仲良くなった。このルームで得られた人脈というのはとても大きなものになっていく。
じぶんの話じゃないけどこのときはこんなもんだったんだよなあと。
この一ヶ月くらいの間に布のりむるすあたりと仲良くなって、混ぜてもらって遊んでいた。彼らは仲良しで集まったにしてはかなり上手な人たちで、この数日後にクランタグをいただくことになる。
有益なツイートしようとしたら、仏ノートに書いてあることじゃねえかと言われた。なんだかそれが嬉しいような、燃やされるのでは・・?なような…。
こういうの、今でも面白いと思うよ。(今でもって、これ自体は面白いのかというとかなり怪しい)
戦績リセットしてからのクインテットが勝率高いということがわかったので、布 勝率クインテットが始まった。
リザルトツイート。これが毎日のたのしみになっていた。
大会は存在していたけれど、まだちょっと敷居が高かった。
はじめてはなさんと遊んだ日。強い人は一回やっただけでわかるよなあって、まさにそれを体感した。そしてこの日のはなさんはとても静かだった。だんだん打ち解けていくのだけどね。
頭の中のイメージがどれくらいあるのかなあって図示してみることは結構大事なことだと思う、今となっては正しさがあまりにも脅迫的に迫ってきてこんなことは出来ないんだけど…。こういう活動は自分の幅を広げると思う。得意な人はやってみよう。
11月は大会に出始めていて、降り方についてかなりちゃんと考えていた。
そこで思いついたのは「大都市に一人ずつ降りる」。これ、以外とハマっていて、この試合は降りた場所全部空いているという顔が緩む結果に。自分の考えがぴったりハマるとたのしいんだなあとわかって大会にものめり込む。
この時は団体競技場もなかったので、迅速の5vs5が流行っていた。布クランも例外ではなく、このツイートではかにさん率いるれもん組とのマッチに勝利した。これはかなり自信になったのだけれどこのルールは結構シビアな感じが当時はあって、火力のない自分には選択肢が少なかった。
仏さんが配信を初めた日。
大会の試行錯誤がたのしくてしかたのない時期。今のようにこうすれば大丈夫っていうのもわからなかったし、たくさん失敗もしたけれど布で出る大会が面白かった。
LeB(元AG)と同タイミングで大会に出始めたことで、勝手にライバル視。仏さんのLeBと我々、布。このときはポジ取りの癖が似ていたみたいで、特に信号4での接敵が多かったと記憶しているが、補正かかってるかも。
はじめてデュオ大会で勝った日。この試合は自分の思い通りに試合が運んだし、味方のかーるがめちゃめちゃ強くて面白かった。大会の空気に慣れてきて、思い通りの試合がたま~~~に出来るようになった。
まあモデレーターにされたのはちょっと癖のあるツイートしてて彼に認識されてたからなだけだけど、それとは関係なく仏さんの配信はおもしろくてファンだった(今もそう)。なのでこういうおもしろシーンまとめみたいなメモを作って切り抜きをアップロードする、切り抜き職人みたいなことをしていた。もともと配信見るの好きな人なので、向いている。
これ、じぶんたちから見て右にαD、左にJKっていう配置で、信号5次第でこ勝てるチーム決まるくじ引きでしょ。とか思ってた。結局αDが無双して終わった。
というようにちょこっと記録を残しておくとリザルトツイートにも華が生まれるというものだよね。おれはそう思う。
おれはこういう妄想めっちゃ好きで、ゲーム内で表現されない物事によく思いを巡らせている(ただのゲームオタク)。荒野行動もそうだし、嵐の半島のみえないところで戦ってみたいなあ。
紅白やガキ使でもなく…DTN。SPYGEA。配信大好きキッズなんだよね。
おわりに
画像ツイートだけ列挙してみたのだけれど、思ったよりも伝えきれてない感が後半に行くにつれて強くなった。なんだろうこのもやもやは。だからおれはまだ自分を伝えるのを諦めない…どこの努力も同じ濃さだから。
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