6年のブランクを超えて



自己紹介



こんにちは、ゆみてぃです。
ルーチンごとに名前を変えるのですが、ジャグラーの通り名としてはゆみてぃという名前を使うことが多いです。

色んな葛藤を乗り越えて6年ぶりにルーチンを作った(演じたのは5年ぶり)日記として、また、長期間のブランクを超えてルーチンをやりたい人の参考になれば、と思い初めてnoteを書いてみました。

ルーチンを作るに至った経緯

そも、何故ルーチンを作れなかったのか。
そして何故ここにきて作ろうとしたのか。
この辺りは完全に自分語りですので、ご興味の無い方はすっ飛ばしてもろて。

病気とブランク

ずっとルーチンを作りたくても作れなかったのは、ちょうど5〜6年前から患っている精神疾患が原因です。

最後にルーチンを作ったのは私が大学2回生の時、2019年3月の中部学生大会に向けたルーチンを作り、3回生になった同年5月に同じルーチンを学祭で披露したのが最後のステージになりました。

当時の私は学業は忙しく、ほぼ立ちっぱなしの電車通学を片道2時間弱、バイトもこなしてサークルにもせっせと顔を出し、よくやっていたなと思います。そして、よくやりすぎて、ついに練習場所で倒れました。

突然教科書の文字が読めなくなり、涙が止まらなくなり、適応障害(特定のストレス要因に対して心身が過剰に反応する病気)になりました。

週3は徹夜、寝れる日も5時間以下の睡眠、帰宅しても家は父親の怒鳴り声が響いていて、そんな生活を半年以上続けました。本来心身を休めるはずの家が安心できる場所ではなかったため、わざと終電を逃してネカフェに泊まる夜もありました。そりゃあ病気になるわって感じですね。あれよあれよと言う間に心療内科通いになりました。

闘病は長く続きました。
楽しかったはずのジャグリングは、見るのもやるのも心が動かなくなっていました。このあたりはわかりやすい初期症状のサインだと今になって思います。
適応障害は長引くとうつ病になるリスクがあると言われていますが、私も例に漏れず数年後うつ病へと悪化しました(適応障害は特定のストレス要因を除去すれば治ると言われていますが、うつ病はストレス要因が明確でないのでより長い時間をかけて治療します)。私の場合は、ストレス要因が簡単に取り除けるものではなかったため、ずるずると引きずってうつ病になりました。
うつ病になってからは、わけもなく落ち込んだり、風呂に入れなかったり、集中力が続かず文字を読めなくなったり、どれほど大事な用事があっても過眠で起きれなかったり逆に40時間以上眠れなかったりと、あらゆる症状を経験しました。

適応障害、続いてうつ病の治療を始めてから4〜5年目でやっと泣く日は少なくなり、文字を読んだり多少考えたりできるようになりました。
しかし、まだ完治したわけではなく、頭はぼーっとしますし、体力が減り、極端に疲れやすい状態が長く続いています。
研究室のミーティングはベッドの中からカメラoffのzoomで参加し、就職もほぼフルリモートで寝そべりながら働けるような、体力に無理の無い勤め先を選びました。
限られた選択肢からどうにか生き残れそうな術を選び取るギリギリの状態で、ジャグリングをする時間や心身の余裕はありませんでした。
しかし、不眠症で眠れない夜でさえルーチン曲を漁ったり、身だしなみを整えれないような日も所作の練習をしたりと漠然としたルーチン創作意欲のみが燻っており、何曲か作ろうとしては気力や体力の無さに打ちひしがれてボツにしてきました。 

それでもルーチン作らな!と思ったきっかけ

他でもない、現役世代から耳にしたコロナ禍によるサークル存続の危機がきっかけです。
私は大阪大学ジャグリングサークルPatio出身です。Patioも他のサークルに漏れず、コロナ禍での新入生獲得に苦戦していました。
新歓をしても活動制限がかかり練習場所から足が遠のいて人がいなくなる。そんなことを何年か繰り返し、いつしか昔『中庭』と呼んで慣れ親しんでいた練習場所からどんどんジャグラーが減っていました。
コロナ禍の直後、私はもう大学院生になっていたため、新歓に関してはあまり運営世代の2〜3回生に口出ししてはいけない、彼らの一存に任せるべきだと思っていました。私と同じか近い世代のメンバーも似た意見の人が多かったように思います。
しかし、そうやってある種他人事にして後輩たちに押し付け、放置しているうちに過疎化が進み、今ではPatioは限界集落になりました。



私がもっと早く動いていれば

無力な社会人(シャカピポ)でも何か役に立てることは…




そうだ




毎年5月にやるいちょう祭は新歓の役割もある




いちょう祭に出れば私も新歓に加われる…!! 




ルーチンを作ろう。作らねば。




ジャグリングって楽しそう!
僕も私も学祭に出たい!
と思ってもらえるようなとびきり明るいルーチンを(作ったことないけど)作らねば……!!




ここから私のルーチン創作奮闘記が始まりました。


リハビリ期間

ここからはリハビリ期間何をやったか、練習を継続するための工夫などをお話しします。
もしこの記事を読んでブランクから復活したい人がいればここから読んでください。

己の程度を知る

強くなるには、自分がどれほど弱いかを認める必要があります。自分の位置座標を正確にしてゴール地点との差分を測り、理想へのステップを描かねばなりません。
具体的には、自分と同じくらいの年齢やキャリアで、なおかつゴリゴリ現役ジャグラーの練習頻度や質を知ることで、働きながら練習するライフスタイルを学びました。

手始めに、私と同い年で平日の退勤後でも3時間ほど練習しているげきつよジャグラーの練習場所に何度かお邪魔し、その過酷さを身をもって体験しました。
まず体力がついていけないのです。日曜日の昼に3時間練習すると夜を待たずに疲れて寝てしまうほどでした。
時間と貯金がそこそこあっても体力が無ければ話になりませんでした。
そこで、練習に耐える基礎体力・筋力を獲得することが最初の課題だと捉えました。


体力・筋力を取り戻す

2024年の2月初旬、まずは毎日腹筋を可能な回数から始めました。そもそも私は病気の症状を緩和するために常人よりも1日をベッドで過ごす時間が長い生活を送ってきたため、体力も筋力も普通の人の日常生活に必要なレベルすらありませんでした。20分歩くだけで息切れしていたほどです。筋力をつければ基礎代謝が上がりますし、筋トレは自宅でできるぶんジム通いよりも心的ハードルが低かったため、身体を鍛えるために効果的かつ着手しやすいトレーニングでした。
有酸素運動も、ランニングは月に数回、ウォーキングはなるべく毎日1万歩を目指しました。本当に毎日継続できたのは筋トレのみでしたが、それでも下腹部トレーニングかツイストプランクかバイシクルクランチ(上体ひねり腹筋)の中から好きなものを計100回以上、約3ヶ月毎日続けてきました。

練習頻度

2024年2月の下旬あたりからジャグリングの練習を週2〜3日、1日あたり3〜4時間から始めました。マンションの自治体が利用する施設を格安で借りれたのと、たまたま練習施設近くの会社に勤めていたジャグラーがいたのでたまに誘って割り勘しました。おかげで金銭的な負担は少なく、楽しくお話しながらメンタル的にも安定して練習していました。
このあたりから、ジャグリングを楽しめていることを実感し、もしかしたら本当にルーチンを作れるかもしれない…という気持ちが強くなっていきました。
また、体力作りやルーチン曲への理解も兼ねて曲のダンス動画をYouTubeで流しまくり、11時間ほど練習してダンスを素人クオリティながらほぼ完コピしました。踊るのはかなり精神衛生上プラスになったと感じています。

2024年3月末〜4月1週目はあまり練習していませんでした。
お仕事で過去最大のお引越しがありました。今までは家具家電付きのおうちに軽々引っ越していたのですが、家具家電の搬入を伴う転居はとんだ重労働でした。ひとまず全ての荷解きを終えてから、新たな町の体育館を探しました。

これがラッキーで、なんと最寄りの体育館が朝昼夜のひと枠220円という破格で利用でき、天井が高く鏡や空調もある上にweb予約もできるという。
ジャグリングの女神は私に微笑んだようです。

嬉しくてバナナを配給された猿のようにキャイキャイと施設を予約しまくりました。多い週は週5日練習し、空いてる日は毎週全て予約していました。
退勤即夕飯体育館練習風呂寝る!な最高の生活が始まりました。この体育館のおかげで練習頻度がぐんと高まりました。

しかしそんな日々も長くは続きませんでした。

ある日、風邪をひきました。
寝ても寝ても疲れが取れなくなってきたな…と思った矢先、扁桃腺が腫れて滝のように鼻水が出ていました。明らかに疲労が原因の風邪でしたが、ジャグリングで仕事に支障を出したくないと思っていたため仕事は休まずにダブル鼻ティッシュで労働しました。

その風邪をきっかけに己のキャパシティに合わせて練習ペースを練り直そうと思い、毎日3時間半借りている施設でも2時間で帰ったり、こまめに休憩をとって長くダラダラ練習するようにしました。疲れたままぶっ通しで練習するのではなく、練習せずにスマホ触ってる時間にも意味はあったのだと感じました。

早めに練習効率を意識できたおかげで、私生活や仕事への支障を軽減しつつ練習を続けられるようになりました。

体調管理

練習ペースによる体力の管理とは別に、体調管理についても触れます。ここは正直、かなり無理をしていました。
K-POPでヘソ出しルーチンをすると決めていたこともあり、毎日ブロッコリーと茹でた鶏胸肉を欠かさず食べてスタイルを維持しました。食物繊維、ビタミン、タンパク質をたくさん摂るよう心掛け、不足していると感じた分は栄養補助食品やサプリメント、栄養ドリンクで補いました。何度マクドナルドに行きたかったか。何度ラーメンを欲したか。そんな時はなるべくミニサイズのインスタントラーメンでやり過ごしたり、小さな駄菓子をひとつだけ買って誤魔化したり、甘いものが食べたくなったら季節の果物を食べたりしていました。

睡眠はさらに大変でした。ポケモンスリープのねむりの約束を10時20分に設定し、できるだけ毎日沢山寝ようとしていました。疲れやすくて体力が回復しにくい病気なので、理想的には10時間は寝ないとジャグリングや仕事に支障が出ることになります。

とにかく出来るだけ身体を休め、栄養を摂ることに全力投球しました。在宅を活かして始業10分前まで爆睡し、勉強や生活関係の用事は在宅時の昼休みや週末にまとめて行い、平日に倒れないように全身全霊で己を労わりました。
元はジャグリングを継続するためだったとはいえ、ここまで自分のことを気遣う姿勢が最終的に私をうつ病の寛解(完治ではなく、症状が穏やかで経過観察である状態)に至らしめたのだと思います。

では次は実際にルーチンを作ってきた過程についてお話しします。 

ルーチンってどうやって作るんだっけ


擦り倒すのは悪じゃない

いざルーチンを作ろうとすると、頭の中では6年前の実力と同じだと信じていても、体力もジャグ力もほっといたぶん劣化していました。3ハットカスケードを4投目で落とした時は恐怖すら覚えました。
されどルーチンを作り学祭を盛り上げるのが最優先事項なので、新規性や火力はこの際気にせず、あくまでエンターテイメントとして新入生や学祭のお客さんを楽しませるルーチンを作ろうと考えました。
何より、これはブランクの長い方にぜひ聞いていただきたいのですが、長年ルーチンを作っていないぶん、私が何やっても初見の若手ジャグラーが多いはずです。古参の方も懐かしさに喜んでくれるでしょう。そこで、擦り倒した技やシーケンスを遠慮なく取り入れ、リハビリに時間がかかるトス技は思い切ってカットしました(天井の都合もありますが)。

シーケンスのストック

これはシーケンスが必須の道具な人や、シーケンスを作るのが苦手で時間がかかる人はやっておいたほうがいいです(というか私が今までやってこなかっただけで、既にやってるジャグラーさん多いと思いますが…)。
6年間のお休み期間中も、たまに練習会や合宿に顔を出していたので全くジャグリングをしていなかったわけではありません。平すと2ヶ月に30分くらいは触っていたと思います。
このようなたまのジャグリングシーンで、なるべく容易に再現でき、見栄えが良く、ほどよい長さのシーケンスを撮り溜めておくと良いです。
このシーケンスたちが、いつかルーチンを作る時にそのまま使えたり、少しアレンジして使えたりします。シーケンスの撮り溜めなんてなんぼあってもええですからね。

リハが無いならリハを作る

学生時代は学祭に出るまでに5回リハーサルを実施し、みんなにルーチンのフィードバックをもらっていました。しかしシャカピポはそうもいきません。そこで頼れる先輩後輩方にルーチンの動画を投げまくり、アドバイスを求めました。
歴が長かろうが最後にルーチンを作った時期を考えれば構成力が当時以上になっているとは期待し難いでしょう。
また、人前でルーチンを通すのが久しく観客慣れが必要だと考え、ジャグラーの知人を呼んだりたずねたり新たに知り合ったりして積極的に人に見せまくりました。
ここで一気にルーチンをブラッシュアップしました。この記事の最後に謝辞を書きますが、本当に色んな人たちに助けてもらわなければこのルーチンは完成しませんでした。

まとめ

長々書いてしまいましたが、まとめると久々にルーチンをやる人が本当に挫けずに作るには、

・体育館を予約しまくって練習せざるをえない環境に自分を追い込むこと
・体調管理をすること
・人にアドバイスをもらうこと

これに尽きると思います。
何年もジャグリングしていなくても、また始めれば続けたことになると思うのです。また戻りたいな、とこっそり思っている方々の参考になれば幸いです。

久しぶりにルーチンをやるなら大会はハードルが高い?発表会が無い?



そんなあなたに!!!



大阪大学ジャグリングサークルPatioは毎年5月頭のいちょう祭と11月頭のまちかね祭で外部有志(Patio OBや学外のジャグラーによるステージ)の演者を募集しています。

出ましょう。出てください。
今からなら2024まちかね祭は間に合います。

少なくとも、今の現役世代は出てほしいと言ってくれました(勝手に遠慮してる人いるけどここ超重要な?)。

学祭、最っっっ高に楽しかったよ。
ここでしか味わえない幸せがあったよ。
出て良かったよ。



みんな出ましょう。待ってます。


謝辞

2024いちょうルーチンを作るにあたり、
K-POPファンとして衣装のアドバイスをくださったカンナさん。
練習場所を時々貸してくれて、ガチ練シャカピポジャグラーの生き様を見せてくださったスナ。
本番直前にPCが壊れて音源編集と提出を代行してくれたマレーバク先輩。
Xで宣伝する用の韓国語を教えてくれたゆん君。
フィードバックをくださったわざおさん、nmcさん、ショア、hmdくん、srmzさん、mltさん、うず氏、arppp、たまたま同じ会社に入ってきたジャグラーさん。
そして何より、出てほしいと言ってくれて、ステージを提供してくれた現役Patioの皆様、心より深く御礼申し上げます。

皆様のお陰で、私は少し健康に近づいて、もう一度ステージに戻ってくることができました。感無量です。

本当にありがとうございました。


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