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舞台ボイシー「a Bright New Boise」感想

2024年5月18日
神奈川芸術劇場 大スタジオ

「a Bright New Boise」

https://spacenoid.jp/stage/01/

日替わりキャストで、18日は
ウィル 片桐仁
ポーリーン 西尾まり
アンナ 藤谷理子
リロイ 鈴木勝大
アレックス 井阪郁巳
(敬称略)
でした。

開幕から不思議な空間でした。冒頭の片桐さんの「今、今、今」という台詞の不穏さ、悪夢のように明滅する光、ずっと足下に不気味なナニかが潜んでいるような。
各キャラクターが抱える心の歪さの現れのようでした。

ウィルはカー・ダレーンの教会で終末論を信じていた。そこで少年を死なせてしまい、信仰に不安を持ち、人生をやり直そうとかつて生き別れた息子のアレックスに会いに来る。
ウィルは信仰に不安を覚え、人生をやり直そうと自分を客観視できているのに、他者から「まだ神様を信じているの?」と問われても「わからない」と答える。神様を否定することは、彼が今まで生きてきた時間のすべてを否定することになるから。
アンナにルーテル教会に行こうと誘われても「俗世に染まった陳腐な神を信じるくだらない教会」(台詞うろ覚え…)と腐すところ、自分が選ばれた人間であるはずだという、驕った思想が見えてとても好き。
ウィルが選ばれた強い人間であるあずもない。
教会は解体されて、青春の輝きも、人生の意義も失って、縋る先がかつて捨てた幼い息子。
字面にするだけでも最悪。けれど、憎めないし、哀しいくらい凡庸な、その辺にいる人間で、私の中にも彼のような一面がある。
「きっと、もっと人生にはいいことがある。あるはずなんだ」
と、現実から目を背けてしまう、弱い心。

アレックス。
賢くて、自分を愛せない、可哀想な子供。
実父であるウィルにだんだんと絆されていく様子が愛しくて、寂しかった。
「どうして僕を引き取らなかったの?」
「お母さんとは正式に結婚していたわけじゃなかった。そういうのは、神父が嫌がるから無理だった」
この問答が哀しかった。ウィルはこの答えに謝罪をつけなかった。幼い息子と離れることよりも、神様から見放されることの方が恐ろしいことで、あってはならないことだった。
前情報で愉快なラップシーンがあると聞いていたけど、実際は胸が苦しくなるようなラップシーンだった。
「誰ひとりわかってくれない。誰も!」
アレックス、誰かにわかってほしい、誰かに救われたいけれど、救われてしまうと「親に捨てられた可哀想で惨めな自分」を認めることになるから、自ら救いの手を拒み続けているところあるよな。
この辺の選民思想と現実から目を背けるところは、ウィルと思考回路が似ていて、親子だなと感じた。嫌なところが似たね。
小六と小四と小三の時の担任(?)にレイプされて、親と旅行に行ったときに誘拐されて、と嘘を連ねるところ、嘘をつくことで物理の単位を取得したりアルバイト合格したと自分の利益になったと言う。まわりから「親に捨てられた可哀想な子供」として扱われて、特別扱いされたことがあったのかな。それが悔しかったから、可哀想な自分を自ら演出して自分が得をすることで、傷を癒やそうとしたのかな。
けれど、多分ひとつくらいは真実が混じっていて、真実を嘘にするために嘘を重ねたのかもしれない
義理の両親はアル中で、義理の両親は僕のことを愛していないことを証明し続けいてる、とあったけど、アレックスが一晩帰ってこないだけで心配したり、義兄のリロイは幼い頃からアレックスを救いたいと思っていたり、家族の仲がどのようになっているのか、もう一歩踏み込んで見せてほしかった。読解力足りないのかもだけど。

リロイは常に正しくて、正しさ故にずっとまわりを傷つけていた。誰かの正しさで傷つくような弱くて愚かな人間が悪いのだけれど、リロイのような正しくて強い人間がずっとそばにいるのはしんどいなと思った。
アレックスはリロイが居たからアルバイトもできるし、義理の両親との仲も取り持ってもらっていたのだと思う。幼いころのリロイが、アレックスを悪夢すらからも遠ざけてやりたいと願ったように、リロイはずっとアレックスを守っていた。
けれど、それはアレックスを弱者の枠に押し込める行為でもあり、アレックスは弱者であり続ける自分を認めたくなかったのかな。

アンナ。
不器用な女の子。物語に人死にを求めるところが私と一緒で嬉しくなりました。
アンナは不器用で、人との会話がうまくなくて、仕事の要領も悪い。けれど、そんな自分を受け入れている。受け入れた上で、ルーテル教会のカップケーキ販売のような、ささやかな幸せを大切にして生きている。素敵な女の子だと思った。
ウィルがカルト教会にいたと知った時も「ルーテル教会に行ってみよう」と誘ってあげたり、かつて捨てた息子のアレックスに会いに来たことを知っても「今、やり直そうと思っているあなたは素敵よ」と言ってあげたり、優しい子。
「お黙り!アンナ!」
で笑いも取ってもらって、とても好きでした。

ポーリーン
この資本主義社会ではポーリーンくらい強くないと生きていけないんだろうな…。ポーリーンにもきっと感傷的でやわらかい感情があるはずなんだろうけど、この物語では出てこない。
「あなたがなにを信じようと私にはどうでもいい」
「アレックスのアレ(パニック症)さえなければいい子なのに」
「アンナはすでに●●ドルの損害を出している」
「真面目に働いて欲しいだけっていうのはそんなに難しいこと?」
ポーリーンはロボットのように正しい。
この極致的資本主義の社会では、心を殺してロボットのように働ける人間が一番強い。

片桐さんと井阪くんが観たくて行ったんですが、どの演者さんもすばらしくてあっという間の120分でした。
2列目センターで観たので迫力もあってとてもよかったです。
井阪くん、めちゃくちゃスタイルよくてびびっちゃった。かっこよかったです。


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