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手稲山に登った話

知り合いから教えてもらって、手稲山の山頂に行くことにした。
途中まで車で上がることができたが、途中から徒歩になる。
私が履いてるのは、昔ユニクロで買った3000円位の靴。
山頂までの道は、急勾配で、足場が悪く、岩がゴロゴロしている。足首を痛めたりしたら、助けてもらうことも難しいようなところだった。慎重に道を選びながら山頂を目指す。

孤独な旅かと思ったが、意外にも地元の方がたくさん登っていたので、孤独ではなかった。でも、予想外の急勾配で、体力に自信があったはずなのに、20分か30分後には、息切れを始めた。

息が上がるが、10分ぐらい地べたに座りながら進むことを何度も繰り返した。
少し上がっては、すぐ休んで、でも、今日は休みなので、全部の時間を使っていいから、ゆっくり進んだ。
途中、道に迷ったりもしたが、進んだ。

人と挨拶することが、苦手になっていると気がついた。すれ違う人と、うまく挨拶できてなかった。だから挨拶するようにした。これまでとは違う習慣になっていく。

急勾配を過ぎると、比較的なだらかになった。きついのは前半だけだったらしい。そこからの眺めがとてもきれいだった。

おそらく、札幌ドームが見えている。
札幌の中央区は、キラキラしていて、憧れのところだった。でも、今だけは遠くに冷静に見える。
今までと違った感覚だった。

そのまま進んでいくと、ロープウェーの終着駅についた。冬までは稼働しないようで、休んでいる場所だった。冬が楽しみである。冬に来て、違いを見たいと思った。

手稲山頂の神社を目指していたが、場所がわからなかった。神社を示している看板がなかったのだ。

目立つのは、各テレビ局のテレビ棟。
私は、場所を間違えてしまったのかと思った。
でも、他の登山客の方が違うところが降りてきている。場所はわからないが、そこに向かって行ったら、神社があるかもしれないと思い、進んでいった。

途中ロープウェーがあった。少し、不思議な雰囲気だった。なんか幽霊が出そうな気がした。でも眺めはとても良かった。

こっちで合ってるかわからないと思いつつ、進んでいると唐突に石塔が現れた。

これまで、ロープウェーや、テレビ塔など近代的なものを見ていたから、それは異質に見えた。

そしてようやく山頂の神社に着いた。

ここでお参りをした。

少し驚いたことがあって、麓に手稲神社がまた別のところにあるのだが、そこには、願い石というものが売ってあった。手稲神社境内に、願い石をはめる台座があったのだが、願い石をはめるところがこの山頂にもあったのだ。

何か神々しいと思うので、ふもとの手稲神社で買った願い石をこっちにはめてみたいと思った。なんかご利益ありそうじゃない。

それとは別にテンション上がることがあった。
羊蹄山とか行ったことがあったのだが、それが手稲から見れたのである。車で、2時間の場所。遥か遠くの場所だと思っていたのに、こんなにも近く見ることができた。


写真だと、少し見難いが、北海道の有名な山がこの場所から見れると言う絵があったのだ。そして実際に見れた。
ただ、それだけの話なんだけど、なんかめっちゃテンション上がった。高い山ってやっぱすごいんだなと思った。こんだけ遠くても見えるんだなって。

そして、そのまま下山した。
昔の映画で、下山の方が、上りよりもきついと言う話を聞いた。下山の方がきついとは思わなかったが、ユニクロの靴なのでめっちゃ滑った。多分ここでコケたら、結構な距離を下ることになると思う。無事じゃ済まないと思う。ゴツゴツの石もめっちゃあり、めっちゃ滑る。腰をかがめながら、いつでも、滑ってるように、ゆっくり降りる。怖かった。登山はちゃんとした靴じゃないとダメなんだね。

後は道が狭いので、人とすれ違う時待つなどして、スムーズに通れるようにした。
驚いたのは、上がってくる方がご高齢な方が多かったことである。
すれ違うときに、顔を赤く、汗を流されながらでも、私でも何回も休みながら進んでいたところ、登っていた。挨拶して、少し会話をした。なだらかな道がないから厳しいよね。と言うことを話してくれた。なんか僕ってコミュ症になったのかもしれないって気づいた。そして、コミュ障ちょっと治りつつあるかもしれないって思った。

そして、無事に麓に降りることができた。

余談だが、麓に降りると、唐突に車に乗った人から話しかけられた。
ここら辺にご飯を食べるところはないかということだった。
ないと言うことを話すだけだったが、話をかけられるのが久しぶりだった。
手稲山に登って、雰囲気がちょっと柔らかくなったかもしれない。

安くてちゃんとした靴ちょっと探してまた登りたいな。

手稲山の山頂へ登ると、現実から遠ざかることができる。
山頂へ登るのは、1時間位だった。こんなにも近いのに、数年間味わえなかった、現実から離れた感覚を得た。こんなにも自由なんだと感じた。

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