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建築紀行2 長岡駅 戊辰戦争と河井継之助 山本五十六

※本コラムは、2019/10/5に株式会社ジャストのコーポレートサイトへ投稿されたコラムの再掲となります。


今年は戊辰戦争が終わって150年の年という。戊辰戦争はご存知のように、徳川政権から明治政府になるときの、旧幕府側と新政権側との闘いであり、約2年つづいた。

その終結が函館五稜郭における榎本武揚ひきいる旧幕側の降伏であったが、その前の大きな戦いが会津藩との会津若松鶴ヶ城の戦いであり、北越戦争とよばれる長岡藩との闘いであった。

尾張などの徳川御三家が戦わずして新政府につく中、会津藩は松平容保を中心として徳川政権維持のため、徳川慶喜によくつくした。この会津藩と連携したのが長岡藩であり、この藩を率いたのが家老の河井継之助である。

司馬遼太郎が小説「峠」で彼をとりあげなければ、彼の名が一般の人に知られることはなかったのではないか。長岡藩は越後における雄藩であった。東北や北陸の各藩はどちらにつくかを逡巡していたが、天皇を掲げる新政府になびく藩が多かった。

河井のとった方針は武装中立ともいうべきもので、この嵐のなかを耐え抜くには武装して国力を保持し、新政府とも対等に交渉することにより、長岡藩を存続させるというものであった。河井は家柄としては代々家老職をするという名門ではなく、勉学により一代でこの困難な時期に家老となった。

河井のこの方針にたいし、新政府側の討幕軍は残念ながら大した人物ではなかった。河井や長岡藩をその立場を尊重し、新政府側と対立することなく、北に進展する方法もあったと思われれるが、それとは反対の態度をとったため、全面戦争となったのである。

河井は会津に退却途中で負った傷のために亡くなったが、そのとき「八十里腰抜け武士の越す峠」と詠んだのが小説名となった。

結果、長岡の市内は戦火にまきこまれ長岡城も消失した。新政府後も属国扱いされたため、長岡の人々は苦労した。したがって河井にたいする評価も厳しいものがあり、司馬遼太郎的評価をとる人は少なかったのでないか。

今回、調査診断一部の新幹線長岡駅の調査報告書を見た。これは、上越新幹線駅の一連の調査の一つで、在来線長岡駅に近接して建設され、乗降場も一体として整備されている。

駅舎は昭和57年の開通にあわせて建設されているが、上越新幹線の一連の駅舎はBOX柱、H形鋼の採用により、スマートに建設されている。鉄道建設と鉄鋼業は明治のころから深い関係のもとに歩んできたが、ビル建築とあわせて、駅舎建築でもこの材料使用によりスピーディな設計と施工がはかられた。300mにおよぶ長大な旅客上屋を土木構造物とあわせて建設することは大変である。ちょっと面白みにかける建物ともいえるがそれはないものねだりであろうか。

この報告書を見た契機に、長岡駅が長岡城のまさにあった場所に建設されてことを知った。

全国の鉄道網の整備のときには駅舎はそれまでの市街地の中心をとおったり、迂回をしたりとさまざまであったが、元お城があったところに鉄道を通し駅舎を作ったというのはあまり例がないのではあるまいか。山陽新幹線の福山などもすぐそばに福山城があるが、すこしはそれている。お城が戊辰戦争で焼けたとはいえ、多少の石垣はあったはずである。

それをよけもせず作ったところに明治政府が辛酸をなめたことに対する意趣返しがあったと感じるのは私だけであろうか。

長岡は太平洋戦争の連合艦隊司令長官である山本五十六の生地でもある。彼は長岡藩の家老職の家柄であった山本家に養子として入った。長岡は、太平洋戦争の末期に大空襲にあい市街のほとんどを消失した。それにより多くの死者をだしたが、見事な復興を果たした街となった。私が短時間歩いた印象でも街の立派さがわかった。 その街の一角に河井と山本のそれぞれの記念館が近い所に建っている。それぞれの記念館はこじんまりとしたものだが、特に河井の記念館はこじんまりというより目立たない印象を受けた。

長岡の人の彼に対する評価をあらわしているともいえる。河井も心ならずも長岡の臣民を戦火に巻き込み、山本五十六も賢明な頭脳と米国留学をもってアメリカとの国力に対し戦争に入ることの無謀をしりながら、任務を全うするために戦い、南方の島を視察中ブーゲンビル島で戦死した。そういう点では両者は同じ道を行ったともいえようか。

駅の近くに隈研吾設計の市庁舎、長岡アオーレが建設された。大屋根で覆われた広い広場のある開放的な建物である。この場所は長岡城の二の丸があったところという。

いわずと知れたことであるが長岡は酒がうまい。酒はその土地で飲むのが一番という。長岡の街で酒をのみながら、河井、山本に思いをめぐらしてはどうであろう。

余談であるが、来年2020年 役所広司の主演により河井継之助の映画が封切られるという。どんな人物像で描かれるか楽しみである。  

調査診断一部
野村 義清

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