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あずまんが大王について|空気系(日常系)を生んだアニメ史に残る作品

最近、あずまんが大王のアニメ版を一気見してしまい、それはそれは懐かしくて、いろんな黒歴史がハリポタのディメンターみたいなツラして襲いかかってきて、気づいたらベッドで息絶えていた。

えらいよねポッター。「ウィンガーディアムレヴォオーサー!!」って。そこそこ長文をあんなすらすらと。「アッ!」とかにすりゃよかったよね。私もとっさに唱えようとしたけど、もう声が出んかった。「ひゅぅ……ひゅぁ……ぁ」みたいな。漫画版「バトルロワイヤル」で三村がやられたときみたいな声出た。

だって観たの15年ぶりですもの。完全にストーリーとか忘れてたよねもう。OPの「空耳ケーキ」が超懐かしかった。いつ聴いても怖い。完全に違法ドラッグ系キメて飛んでる脳で闇の家庭菜園してる時に聴こえる旋律だからあれ。

今回はそんなあずまんが大王について書きます。なんてったって空気系・日常系の元祖! 2000年代以降の日本のアニメ史において、すごく大事な作品なのです。

あずまんが大王が残した功績

『あずまんが大王』は月間コミック電撃大王にて1999年〜2002年に連載された4コママンガ作品だ。全4巻ながら325万部のセールスを記録。これは世界15ヵ国で翻訳された。日本でいちばん売れた4コママンガと"いわれる"(計算方法によってはもちろん諸説あり)。

今や発行部数が話題になるのはワンピースとか鬼滅の刃とか完全にマスを掴んだ作品だけなので、300万部程度だともう驚かないかもしれない。いやでもコレ相当やばい数字だ。

「4巻しか出てない」「4コママンガ」という前提があるし、なにより「あずまんが大王は当時限られたオタク層向けの作品であり、マス向けでなかった」んだもの。作者のあずまきよひこは「アングラで終わりたくない」的な理由で、その後メジャー向けの作品「よつばと!」に取り掛かる。それくらいあずまんがは限られた層向けの作品だったのだ。

あずまんが大王はマンガ連載中にWebアニメで爆発的にブレイク。その後地上波アニメ化、映画化され、経済効果は30億円。文化庁から表象を受けるなど、その功績は凄まじい。

ただ、あずまんが大王の凄さはこんな表面上の数字じゃ語れねえんです。あずまんが大王がなかったらたぶん京アニはこんなに大きくなってない。いまだ地獄の8次請けみたいな仕事をしてる説もある。

あずまんが大王が開拓した空気系(日常系)とは

売り上げ云々よりすごいのは「あずまんが大王をきっかけに、2000年代に空気系(日常系)マンガが大ブームになったこと」だ。空気系というジャンルを構築し、深夜アニメという日本の代表的カルチャーを塗り替えた。

空気系とはむっちゃ簡単にいうと「普遍的な日常を舞台に、数人の女子が、極めて何にも起こらない日々を過ごすこと」をテーマにした作品。定義は曖昧だけど「物語全体としてゴールがない」「中核的な男性キャラがいない」というのは大きな特徴。

例えば同じ女子数人のアニメとして「プリキュアシリーズ」がある。この場合は「巨悪を倒す」という大筋のストーリーがある点で空気系ではない。空気系には大層な目的なんてない。ただなんとなく毎日生きてるやつを描いた作品だ。

いやしかしこう「普遍的な日常を舞台に、数人の女子が、極めて何にも起こらない日々を過ごすこと」って、文面で書くとほんっとにおもしろくなさそうですよね。

でも当時のコアターゲットだった非モテ男子は「隣の女子高生ってどんなライフスタイル送ってたんだろう」って、かなり興味あったんだと思うし、あとシュールな作風になりやすいのも特徴だったはず。この点は後述します。

あずまんが大王のフォロワーたちの足跡

とにかくあずまんが大王の衝撃はえぐかった。その後、次々にフォロワーが生まれ、あずまんが大王こそ越えられなかったが、すごいヒットを飛ばしまくった。特に京都アニメーション全盛のころの作品なんてもう空気系のオンパレードよ。

『らき☆すた』『けいおん!!』はもちろん、『日常』に関してはあずまんが大王へのリスペクトが存分に感じられる作風、デザインとしてネット民が「同一人物か?」とざわついた。

そのほかにも「苺ましまろ」「ひだまりスケッチ」「GA 芸術家アートデザインクラス」「生徒会の一存」「たまゆら」「みなみけ」「のんのんびより」など、その作品数はもはや書き尽くすことが難しい。2000年代の深夜アニメ(オタク文化黎明期)は、半分以上を空気系が占めていたのは間違いないだろう。

「セカイ系」が空気系に含まれるか議論

そこで持ち上がるのが「セカイ系アニメ」は空気系に含まれるのか議論。もうここは定義せんでも良い気がするけども。

例えば「涼宮ハルヒの憂鬱」はセカイ系の代表格だけど、アニメ版ではけっこう日常系描写のほうが多かったりする。なのでたまに空気系に含まれたりする。

でも、もうSF要素が入ると空気系から逸脱してると言っていいんでないかしら。「Angel Beats!」とか「とあるシリーズ」とか「化物語シリーズ」とか、あの空気系独特の緩さはあんまりないもんな。なんか「逃走中」くらい常に緊迫してるからな。

ここではあくまで「普遍的な日常を舞台に、数人の女子が、極めて何にも起こらない日々を過ごすこと」を基本に話を進める。

あずまんが大王の肝は8話

あずまんが大王をご存知の方なら誰もが知ってるであろう8話(アニメ版)はもう「大問題作」だ。メインキャラ4人の初夢を描いた回だが、実はほとんど原作にないストーリー。アニメオリジナルシナリオ。なかでも榊さんの夢の話は観たら最後、五感が異様に研ぎ澄まされ、耳目から血を流しながら「人間とは?」という哲学に溺れなければいけなくなる。観るときはマジで自我を保つことに集中してほしい。

超マジ簡易的にあらすじを描くとこんな感じ。

榊さんは、ちよから二足歩行(浮いて移動する)猫をプレゼントされる。猫は若本規夫ボイスで「お別れだ。自分はちよの父親だ。君は本当の猫を探せ」と告げる。

気づいたら榊さんはちよちゃん宅に。「どうぞどうぞ」とちよちゃん。家にはペンギンがお手伝いさんとして居る。「やぁお友達かい?夕食でもどう?赤いものも入ってるよ」とさっきの猫。

一緒に夕食を食べていると「トマトも食べろ。好きとか嫌いとかはいい。トマトを食べろ」と。「おいしいよ」とちよが答えると「こんなに赤いのに」と猫。

するとクラスメイトのオーサカが「起こしにきたで〜目覚めよ〜」と。起きる榊さん。

……いや、嘘書いてると思ってるでしょ。マジのストーリーですこれ。ダリとかマグリットとかそんなテイストの話なんですよこれ。

いやしかしこのシュールさが後年の空気系にも影響を与えたのは間違いない。例えば「日常」の不条理ギャグはこの表現が色濃く影響を与えている。「らき☆すた」にも所々に辻褄が合わない奇妙なシーンがある。この辺りは絵が可愛くて幼稚なほど怖い。なんかもうピングーの伝説のセイウチ回に近い。

空気系は緩い。緩いって余裕。余裕ってあそび

あずまんが大王が切り開いた空気系の世界はいまだに評価を受けている。私もセカイ系に比べると空気系のほうが好みで、果たしてこの理由はなんだろうと考えてみた。

その理由はやはり「緩さ」だけじゃない。緩さっていわば余裕なのである。余裕ってあそびなのだ。

まったく緊迫してないしぜんぜん戦ってない。絶対に危険が及ばない。超セーフティで余裕綽々。すると見ている側としては逆に「何が起きてもおかしくない」という想像の自由度が高まる感覚になる。

作る側としても「ちょっとここふざけちゃお」っていう突発的な遊び方ができるんだと思う。だからあのシュルレアリスム的表現ができたりするんだろうね。

とはいいつつ、あずまきよひこさんって、実はしっかり芸大出てますから。そう考えると空気系云々じゃなくナチュラルボーン狂人説も濃厚ですよね。

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