映画「アンダルシアの犬」を大解説! あらすじや考察など
絵画とひげが有名なサルバドール・ダリ。シュルレアリスム界の大スターであり、アーティスト界の大変態の彼だが、実は映画の脚本も書いている。
なかでも有名なのが、シュルレアリスムの代表的作品ともいわれる「アンダルシアの犬」だ。アンダルシアとはスペインの町名であるが、作品とはなんら関係がない。犬、1頭も出てこない。ロバは2頭出てくる。ダリ、ロバ好きだもん。5月13日の夜に観てしまったので、この作品について日記を書く。
「アンダルシアの犬」のコンセプトは「映画の機能を否定した映画」。ストーリーを追いかけることはほぼなく、セリフもなく、断片的に変なイメージ映像が続く。お目目を剃刀で裂いたり、お手手にありんこがわんさか上ってきたり、死んだロバをグランドピアノに載せて、ピアノごとロープをくくりつけて運んだり。「何言ってんだ」と言われそうだが、その通りなんです。死んだロバをグランドピアノに載せて、ピアノごとロープをくくりつけて運んでるんです。なんなら運びながら鬼の形相で女性に迫ってるんです。女性はしこたま怯えてるんです。
映画を撮るにあたって、ダリとタッグを組んだ監督が同郷のルイス・ブニュエルだ。ルイス・ブニュエルは上映時に「わけわからんもん作ってもうた〜。エンドロールでボコられるわこれ」と心配で、ポケットに反撃用の石を詰めていたらしい。しかし上映後の館内は大喝采で、晴れてブニュエルはシュルレアリストの仲間入りを果たした。といっても観客の多くはシュルレアリストでそりゃ相当にアートやエンタメを否定しまくってた連中なので、盛り上がったんだろう。
こんなん普通に東宝シネマとかで上映したら国民がポカン、だ。たぶん隣のカフェが終演後、一時的にごった返す。押し寄せる動悸のなか「このまま帰っていいのか」と思い、いったんホットコーヒーで身体を落ち着けたくなるだろう。夫婦の間に感想戦なんて生まれない。手汗が止まらず、ただ無言でコーヒーをすすり、定期的にレジ横のブラウンシュガーを掴んでは溶け切れないほどカップに投入する。動物として糖分を欲する。そんで「こんなことなら大人しく新海誠でも見とくんだった」と落胆しながら帰るも、帰りの電車でも会話はなく、そのまま無言で帰宅するとともにテレビを点け、夫婦そろってソファに腰かけて、寝るまで手話ニュースをぼーっと眺めることになる。
20分というスナック感覚で見られるところが、また邪悪だ。ふらっと見られるから被害者が増える一方なのである。R54とかじゃないのか。もうこの映画は。ある程度、精神力がある方でないと、日常生活に支障をきたすのではないか。なんせ、死んだロバをグランドピアノに載せて、ピアノごとロープをくくりつけて運んでるもの。もはや「死んだロバをグランドピアノに載せて、ピアノごとロープをくくりつけて運んでる」と書きたくなってる自分がいるもの。
ちなみにダリとブニュエルは次作で「黄金時代」という映画を撮るが、こっちは制作時からギスギスしてたらしく、ようやく公開されるものの右翼がスクリーンに爆弾を投げるという聞いたことないハプニングが起こり、1980年くらいまで上映禁止となった。散々である。その後、ダリとブニュエルは交わることなく、ダリは絵の世界で富をなし(今でいう蛭子能収的なポジション)、ブニュエルはだんだんエロティシズム的作品に足を伸ばした、というわけだ。
アンダルシアの犬、ご覧になる際は、ぜひ身体を暖かくしてアロマを焚き、十分に気持ちが落ち着いた段階で、ミネラルウォーターをそばに置き、部屋を明るくしてどうぞ。
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