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今敏「パプリカ」と「パーフェクトブルー」のシュルレアリスム的側面

さて以前、今 敏の作品を映画館で観てきた、という話をした。

高田馬場でパーフェクト・ブルーと千年女優を観て、昂まったあとに、パプリカと東京ゴッドファーザーズも池袋の新文芸坐で観て、いたくいたく感動したわけだ。

ちなみに、同映画館では夜通し「妄想代理人」を一気見するという、かなまら祭も霞むほどの奇祭もやっていた。しかし、深夜にそんな無謀なことをすると、いよいよ夢と現実の境目がなくなってしまいそうなので、行くのをやめたわけである。「気付いたら、ゼビオとかで金属バットとローラースケートを買っていた」みたいなことになりそうだもの。

「夢」と「現実」ってどっちが自分?

最近は暇さえあれば、今敏のブログ「KON'S TONE」を読んでいるわけだが、彼はやはり夢に固執していたクリエイターなのだと感じた。

処女作の「パーフェクトブルー 」でも、代表作の「パプリカ」でも、夢がモチーフになっている。これはシュルレアリスムに近い表現だということは以前もさらっと書いた。

まずは、なぜシュルレアリスムと夢は親和性が高いのか。ということにソフトタッチしてみよう。

シュルレアリスムと無意識の関係

アンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言によればシュルレアリスムとは「人間の本質的な部分を、そのままなんの脚色もせずに表出したもの」だ。そこで「無意識」というワードが出る。

分かりやすく例えると、人と話すときは誰しもが言葉を選ぶでしょう。TPO大事。相手が目上だと敬語になるし、友だちだとタメ口になる。これが脳を介して考える、ということだ。見当識や記憶やら、海馬の部分をフルに使って、人は言葉を発するし絵を描くわけである。なので「文脈をきちんと考える」という行為も、少なからず脳を使ったものである。

ぱっと思いついた言葉を、そのまま口にするってのは、なかなかない。でも、実はそのぱっと思いついた言葉ってのが、無意識下にある言葉でクソ正直なもの。このように意識を通さずに表出するのがシュルレアリスムだ。深層心理をずるっと表面に出すわけである。それこそが最も無理がないし、人間らしいし、非合理的だし、みたいなことだ。まさに諸法無我で、とても禅の世界に近い。

無意識って突き詰めると、つまり「夢」に近いわけだ。寝てるときに見る夢は、深層心理が関わってくる。

だからダリは寝てる時の光景を絵に落とした、というわけだし、ブルトンは思考を通さないためにとにかく速記をして、詩とする「自動筆記」を生み出した。

さて、この論理でいくとおかしなことに「夢と現実のどっちが本当の自分なのか」という話になってくる。「そんなもの現実だろ」と一言で整理しちゃうリアリストは置いておこう。夢こそが真の私なのではないか(いや、私なんてものは、絶対に存在しないのだけれど)。

今敏はまさに「夢の執行人」である

今敏作品、とりわけ「パーフェクトブルー 」と「パプリカ」は、夢を題材にしたアニメだ。パーフェクトブルーをここで例に出そう。

パーフェクトブルーの夢の描写

主人公のミマは元々アイドルだ。しかしグループを抜けて女優として生きることを目指す。最近でいうと最上もがとか、西野七瀬とかだ。アイドルというのは名の通り「虚像」であり、ファンのためにとにかくかわいく、またはかっこよく生きる職業だ。一方、女優は芝居を追求するものだ。2つの間には大きなイメージの乖離が生じる。

ミマはその葛藤で悩む。ファンからの嫌がらせも入って悶え苦しむわけだ。そして一皮脱ごうとレイプシーンにも挑戦する。これはアイドル時代には、決してしなかったことだ。

しかしそれも元のファンからすると非常に不評。しかも元いたグループは売れていく。次第に「自分とはなんなのか」「何がしたかったのだ」と自問するようになり、ついにはアイドル時代の幻影を見る。

そんなときに現実と想像(夢)と演技の描写がごちゃ混ぜになって、もう混乱しっぱなしになってしまう。「どれが本物の私なのか」とパニックに陥るのだ。

シュルレアリスムの概念に近いパーフェクトブルーのカット

このカットはシュルレアリスムの概念にとても似ている。だんだんと、夢と現実の区別がつかなくなる。女優の自分こそが真である、と思いたいが深層心理ではアイドルの自分こそが「私」なのではないか、なんてことも思ってしまうわけだ。最後の最後に「私は私」と宣言するが、それすらも鏡越しの自分なのである。

パプリカでもシュルレアリスム的表現がある

今敏作品のなかでも特に人気が高いパプリカでも、同じようにシュルレアリスムを思わせる表現がある。キャッチコピーは「夢が、犯されていく」。

DCミニに意識を支配され、夢のなかのやけに明るい空間に投げ打たれるキャラクターたちは、まず言語感覚から具合が悪くなってゆく。

まさにこれはアンドレ・ブルトンの自動筆記そのものではないか……っ!なんて思うわけである。やはりシュルレアリストだったか、と。

ちなみに私もたまに自動筆記をやってるので、まじで暇なときにどうぞ。パプリカのあの呪文のシーンを思い出すに違いない。

ただ、まぁパプリカに関しては日本SF小説界のキング・筒井康隆が原作である。「まずコンパスが登場する。彼は気が狂っていた」という(個人的には)日本文学史上最高の書き出しておなじみ「虚構船団」でも、似たような自動筆記じみた表現があるため、もしかしたら今敏は筒井康隆をリスペクトしたのかもしれない。

しかしまぁ、ここまでちゃんと考えていたが、結局は「夢」が好きなのだ。文学であれば澁澤龍彦や稲垣足穂がツボだし、絵画であればルネ・マグリットやジョルジョ・デ・キリコが好きだし、アニメであれば今敏がたまらないのである。

そしてもちろん寝ることも大好きなので、そろそろここらでお暇します……とはいえコレ寝れるかな、怖いな。寝てる間に颯爽と外に繰り出していろんなおもちゃを引き連れて行進とかしないかな。これ。

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