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映画「素晴らしき哉、人生!」について!【あらすじ・解説・感想】

無二の友人に「素晴らしき哉、人生!」というアメリカの映画を勧めてもらい、ちょうどいま観終わったところだ。感動のあまり、顔の穴という穴から液体が漏れている。涙が、鼻水が、ヨダレが、耳からもなんか緑色の液体が出ている。どうしよう。

超簡略的なあらすじ

前回、パラサイトのレビュー記事でわけわからんくらい長々とあらすじを書いたので、今回はざっくりとかいつまんで書こう。

ときはクリスマス。「ジョージを救ってくれ」と民衆から多くの祈りが捧げられる。神が天空で聞き、神界での平社員・クラレンスに「成功したら翼授けるから救ってこい」と命令。ミッションのためにとりまジョージの人生の回想を見せる。

ジョージは住宅保険を営む家の長男。小学生のころ溺れかけた弟を助ける。バイト先の薬局で間違って劇薬を調合した店主に「あんた間違ってんで」と注意して助ける。富豪の娘・メアリーと結婚して3人の子をもうける。家業を継ぎ、貧困層のために宅地開発をする。世界一周をしたかった彼だが、運命的にできず、我慢してまで周りを助けてみんなに慕われていく。しかし地主に嫌われて倒産寸前まで追い込まれる。家族に当たり散らし酒浸りになり、自殺を考えるように……。

クリスマス、極寒の川に身を投げようとしたとき、老人の姿を借りたクラレンスが先に溺れているのを発見。彼を助けたジョージは「もうあかん。死のうと思ってんねんわし」とクラレンスに相談する。クラレンスは「ほーん、じゃあ貴様の存在を消すわ」とジョージがいない世界を作り出す。その世界では弟は溺死し、薬局の店主は殺人罪で20年のムショ暮らし、家業は倒産し、叔父は精神病に。町は荒くれ者のあつまりになっていて、妻は独身を貫いていた。

「あなたの人生があったからこそ、多くの人が救われた」とクラレンス。自分の存在を体感したジョージは「元に戻してくれ」と懇願する。元の世界に戻るジョージ。するとメアリーの呼びかけで街の人から寄付金が集まっていた。人とのつながり、友人の大切さを実感するジョージ。大団円のクライマックスのなか、寄付金のなかには「友あるものは失敗しない……byクラレンス」と書かれた「トムソーヤの冒険」があった。

生きて、まっとうするだけでいい

いやもうほんとこの通りです。生きてまっとうするだけでいい。それだけで人生は輝く。人はやっぱりひとりでは生きられない。もうこれは自明の理。そして生きていく限り、誰かと関係を持ち、誰かの人生に関わるようになる。まっとうした先にある場合「死」というものは決してネガティブなものではない。

生きて死ぬことは、悲しいこととされる。往々にしてみんな見送る側の視点で考えるけれど、たまには逝く側の眼で考えてみてもいい。それは総決算のようなもので、最後の晴れ舞台。人間に生まれたから感じられる喜び。死ぬときに周りの方々が自分の別れを惜しんだり、感謝の言葉をもらったり。そんな何かがあったとしたら、嬉しいこと。死とは、存外ポジティブなこと。

「人は人と関わる」という視点で—これは10年以上考えているのですが—行動と結果は偶然的に関連することがある。

例えば「靴ひもがほどけた」という事象があったとする。結ぼうと思って屈んだら偶然向かいのコートからテニスボールが飛んできて頭に当たった、みたいなこと。屈まなかったら避けられたのに……的な。

同じ理屈で長期的に行動が結果になることもあるなぁと思う。風が吹けば桶屋が儲かるみたいに、隣人が2年前に5分早く家を出たから、私は今日スクラッチで1万円当たったみたいな。

その理屈で人は結局生きているうち、誰かを幸福にしているのだ、と。もちろん誰かを不幸にすることもあるけど。本当の自己完結はできない。生きていれば経済を動かすし、自給自足をするにしても根は隣の敷地まで及ぶ。廃棄したゴミは処理される。ちょうちょの羽ばたきが嵐になるように、どこかで誰かと関わっているのだ。そう考えると生きて、まっとうするだけで、誰かに貢献している。誰にだって存在意義がある。なんじゃこりゃ。素晴らしい世界。

わたし、変な癖があるんです

私は比較的、人とのつながりが希薄だ。これはもうはっきりと自覚していて、なぜなら数カ月間コミュニケーションを取らなかった友人のLINEや電話番号、SNSでのフォローなどなど、"つながり"をすぐにデバイスから消しちゃう妙な癖があるからだ。

いま私のLINEには15アカしかいない。約半分が親族だ。ほんの数年前まで大量のアカウントがあったのだが、ブロック削除という奥義を覚えてからはスポンスポン消した。

「1年以上連絡取ってないけど、LINEにはいるんだよね〜」ってのがうまくできない。なんかおそろしくて。先日、友だちにこの癖を打ち明けた際「人嫌いなのか? 根暗が出ているのか?」と言われたが、むしろ逆。人が好きだからこそライターやってるわけだし、勝手にインタビューしにいくし。比較的、根明で年がら年中家で原稿書きながら踊り狂っている。

もちろん好きな人にはどんなに遠くても会いにいく。会って話したい、という人だけと関わってたい。結局、アカウントなんて分身のようなもので、消しても縁がある人にはどこかで会うものだ。そのときにもっかい登録すりゃあいいのである。しかしどうでもいい人は連絡手段を断つ。境界性パーソナリティ障害でいう白黒思考っぽさを自覚している。

しかしそんな多くの人と交わらない私でも、見えないところで数多くの人に支えられているわけだ。今日はコンビニの店員さんが手を添えてお釣りを渡してくれた。職場の同僚がおいしいパンをくれた。この映画を観なかったら、こんなつながりを感じることができなかっただろう。

人と人とのつながりの素晴らしさ。丁寧に生活することの美しさ。生きる気力が湧いてくる、大団円の映画でした。今でもアメリカのクリスマス映画ランキング1位らしい。素晴らしいお話です。

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