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28歳の僕らがデカダンスを踊り続ける理由

デカダンスと聞くと、いまだに刑事が陽気に腰を振る映像が頭のなかで流れるんだが、これは私だけではないはず。デカダンスは決して踊りではない。退廃とか虚無とか、そんな意味を持つ芸術・文化運動を指す

なぜだろう。28歳の私たちの世代は特にデカダンが多い気がしてならない。なんとなくネガティブな諦め……というか活力がなく「いや無理でしょう」とこう、否定から入りたがる世代な気がする。と感じたので、出生から無理やりにでもこじつけてみる。

まず1991年生まれ。バブル崩壊とともに出生で、ちょうど日本が元気ないときに幼児期を過ごした。また小学生の途中から「勉強しろ勉強!」という風潮がなくなり、土曜が休みになった。いわゆるゆとり教育の始まりであり、同時期くらいに2ちゃんねるがスタートし、ネット依存になるとともに思春期にはmixiやらモバゲーやらのSNSが誕生した。多感な時期にオンラインでいろんな人の言葉を読めるようになったことで、アイデンティティを喪失しやすかった(または箇条にアイデンティティを求めた)印象がある。2ちゃんねるには常に誰かの悪口や愚痴が氾濫し、今みたいに政治に対して「安倍政権を変えよう!」みたいな風潮はなく「日本オワタ\(^o^)/」だった。デカダンスがユーモラスにすら思えた時代だ。

と、時を同じくして時代を象徴するように鬱ロックというジャンルが流行った。当時よく言われていたのはsyrup16g、ART SCHOOL、バーガーナッズ(バックホーンだったかも)の3大鬱ロック。「あと10秒で〜世界が終わる〜♪」なんて曲を聞きながら「別に終わってもいいなぁ」とうっすら思っていた記憶がある。

退廃的な風潮に輪をかけるように、いじめ・引きこもりが社会問題になったのも我々世代が思春期の頃だ。いじめられっ子がカッターで友達を刺し殺したり……。なんかそんな暗い事件ばっかりで明るいニュースといえば「たまちゃん」くらいで……。ライフとか女王の教室とか、いじめにまつわるエンタメがめちゃ伸びてた印象である。目立てば目立つほどいじめられるリスクも増える。私とてやはり例外ではなく、ハブられまくっていた時期があったし、反撃する気すら起きず無理にグレて体育館裏でタバコを吸ってはゴホゴホ咳をしていた。学ランで咳をしてもひとり

すると防衛本能として、だんだんと周囲の意見に流されるようになる。クラスのシンクロ率100%で、思考が止まっていた世代ともいえる。目立っていたヤンキーたち(彼氏のことを旦那と呼び、彼女を嫁と呼ぶタイプ)の声に反対したくてもできない。最終的には「まぁいいか」。これはなんか立派なデカダンスが構築された気もする。そしてそんなヤンキーカップルは自然と中出しして、子どもができるとともに結婚し、1歳になるころには離婚していった。南無。

政治的にはミレニアムを超えたあたりから景気も回復していたが、17歳にしてリーマンショックが起きる。どーん!と景気が下がり、またも日本が暗くなっていくなか、高校生活を送っていた。そのころ「メンヘラ」という言葉が市民権を得て、みんな病みたがっていた。何でもかんでもメンヘラにしたくて、ついには「涼宮ハルヒのリスカ跡見つけた!」みたいな根も葉もないうわさまでたち始めたのを覚えている。

大学に入るくらいで東日本大震災が起こり、24時間テレビをはじめとして「絆」という浅いワードが流行し、ボランティアが流行し、人は人と助け合うようになるも、2ちゃんねるでは「偽善者乙ww」と言葉が飛び交い、当時「絆ってそんな抽象的な言葉分からんな〜」なんて言葉を語っていた記憶がある。

それからスマホが普及するとともにSNSが爆増し、いつでも誰でも声をあげられるようになった。しかし多感な時期にデカダンスを踊り狂っていた我々の世代はやはりまだ「何も変わんねえよ」と思い続けているので選挙にすら行かない。あるがままを諦観し、なぜかちょっと暗いコンテンツを好む。

最近「10万円給付はTwitterの国民の声で勝ち取った!」と言っているのを見て、ずいぶん日本はポジティブになったものだ、と感心していた。安倍と戦ってんだもん。すごい。昔ならば諦めて家で寝ているところだ。「なんか分らんけどエネルギーに溢れててすごいなぁ。がんばれ~」とソファで寝ころんで鼻くそほじりながら言っている私は、やはりデカダンなのである。

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