見出し画像

澁澤龍彦×近藤ようこ! 「高丘親王航海記」のコミカライズがあまりにゴールデンタッグ過ぎる

澁澤龍彦の「高丘親王航海記」といえば澁澤龍彦が最後に書いた小説だ。ちなみにその後に未完の「都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト」を書いたが、これはエッセイなので最後の創作は「高丘親王航海記」となっている。

今回は高丘親王航海記のコミカライズ版を読んだということで、もう記事を書かざるを得ない。しかもマンガは「五色の舟」や「夢十夜」のコミカライズも手掛けたガロ3人娘の1人・近藤ようこさんが手掛けていらっしゃる。これが2巻現在、ものすごくよかった、ということで書きます。

「夢文学」の名手・近藤ようこさん

近藤ようこさんはたぶん大勢が「五色の舟」で知ったのではないかな、と。この漫画がすごいにノミネートされていた気もするし、かなり話題になったからだ。ただ実は80年代からガロでも描いていらっしゃった超大御所である。

近代文学のコミカライズに関しては、夏目漱石の「夢十夜」や坂口安吾の「桜の森の満開の下」なども手がけている。特に「夢十夜」では原作にない十一夜目を描いて話題を呼んだ。

あの近代幻想文学の何ともいえない気持ち悪さを絶妙に漫画で表現する。だいたい近代文学マニアってのは懐古厨が多く、現代にリメイクされたり、実写化をしたりすると叩きがちなのだが、近藤さんに関しては叩いている人を見たことがない。

1巻目と2巻目の書評でも書かれていたが、まさにそんな幻想文学の名手が澁澤龍彦を手掛けるのは当たり前のことでしょう。夢にこだわり、夢の世界を追求していたド変態・澁澤龍彦と近藤ようこはまさに夢のタッグなのだ。

上巻の書評は巖谷國士師匠です

そしてね、個人的にはここが最高だったのですけど、1巻のレビュアーが巖谷先生なんですよ。日本シュルレアリスム研究のまさに第一人者です澁澤との交流が深かったので、そりゃもう素晴らしい人選。サンキューKADOKAWAって感じ。

で、書評のなかで「高丘親王航海記」についての澁澤龍彦との会話を紹介していらっしゃる。

「第一章はちょっとマンガっぽいですね」と問うと澁澤さんは「うん、それもあるんだ!」と答えた。

澁澤自身がかなり戦前の「のらくろ」などのマンガに影響を受けて書いた作品だそうだ。そのコミカライズ。もし澁澤が生きていたら、さぞ嬉しかっただろうと思う。では作品紹介に。

もう本当に淡々とした「日本庭園の作り方」みたいな絵

まずこれですよ。とにかく背景がシンプルで、白紙のコマも全然珍しくないんですね。超日本的なのです。引き算でクリエイティブを作ってきた日本独特のこの、京都の日本庭園みたいな。千利休が秀吉に朝顔を一輪だけ差し出したエピソードみたいな。

魚喃きり子のマンガに近いものを感じる。

この絵が高丘親王航海記の淡々と幻想世界を描く快感にものすごくフィットするんです。ここで過剰に描いてしまうとたぶん冷めるんですけど、いたって「普通ですけどなにか?」的な表現がマッチしているのです。これは巖谷先生もおっしゃってました。さっぱりしている。それがいい。

面白い人は自分のこと面白いって言わないでしょ理論

常々言っているが、わざとらしい表現が冷めるのは、りシュルレアリスムの概念からかけ離れるからなのかもしれない。

私、ミュージカルが超苦手なのだ。それは「見てぇ~♪ 今わたし演技をしているでしょ~♪(裏声)」みたいな感じで、ザ・お芝居というのが分かるからで、もう見ていられなくなるからだ(あとちゃんと共感性羞恥ある)。

お笑いも一緒で「今から笑わせますよ」的な雰囲気が出た時点で、もう面白くなくなる要因になりうる。だからお笑いは比較的、素人が出る番組を見る。

これは幻想文学や夢文学も一緒だ。「変なこと書いている」という感じを出す時点でなんか冷めるわけである。

人とは違うおかしなことを真面目に楽しんでいる人が大好きで、できればずっと愛し続けたく、思わず目で追ってしまうし、見ていたくなるわけです。

近藤ようこさんの表現はまさにこういった感覚に近い。淡々と、まるで呼吸をするかの如く普遍的に夢幻世界を描いているのがおもしろいのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?