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没後10年、今敏のアニメ作品を映画館で観てきた

今 敏が没後10年とのことで高田馬場の映画館・早稲田松竹にて再上映された。「東京ゴッドファーザーズ」「パプリカ」「パーフェクトブルー」「千年女優」の4作品が上映される。コロナの影響もあって席数は55。チケットの先行販売は無し。10時から現地にて購入可能、ということで朝8時にはもうこんな感じだった。

早稲田松竹を知る方いわく「え、こんな行列見たことないよ」とのこと。死後10年が経っても、いまだに今 敏のカリスマ性に惹かれる人はこんなに多い。比較的、若い方が多い。早稲田や目白の学生だろう。6:4で女性のほうが多かったかな、と思う。今 敏の47年は2020年も、きっと2030年も愛されている。

「東京ゴッドファーザーズ」と「パプリカ」は諦めて「パーフェクトブルー」と「千年女優」を観た。


パーフェクトブルーは彼の作品で最も好きだ。パプリカよりも好きだ。だから映画館の大スクリーンと轟音のなかで観られたのは幸福なことで、何度見てもあまりのすごさに笑える。夢が現実か役か。一見、サイコホラーといわれるが、そんなことはないと思う。

個人的にはやはりヒューマンドラマだ。「夢」という人間性が最も現れるモチーフと「役」という仮面、そして中間の「現実」。この三層のうち本物の自分はどれだろうと探すさまを描いていた作品なのではないか。特に「仮面」という意味では「アイドルから女優へのイメージチェンジ」という局面で「なりたい自分」と「周りの視線」との乖離に悩む姿は興味深い。そして死ぬほどリアルなのである。

「夢こそが本物だ」という矛盾的な考えはシュルレアリスム由来のものだ。夢モチーフの作品はどれも「その人の心境」を濃く表している。現実の自分は世間体などを気にして仮面を被ろうとするだろう。いっぽう夢は深層心理が出てくる場所であり、本物の自分は夢にこそ現れる、というわけである。ダリもブルトンも夢を作品に投影した。自由に解釈できるパーフェクトブルーの見方は人それぞれだ。私個人としては夢と現実のどちらが本物か、という着眼点で見ていた。


さて「千年女優」は初めて観た。タイトルが死ぬほど良い。千年女優……。吉澤嘉代子のアルバムで「女優姉妹」というタイトルがあったが、これも好きだったなぁ。しかしまぁ千年女優。こうなんか胸が躍るではないか。

女生徒が「カギ」というヒント1つを頼りに、数十年にわたって活動家の影を追うという話。雰囲気がポップだからか、ものすごく純なラブストーリーにも見える。しかし冷静になると、ものすごく怖い。いくら初恋だからといって10代で出会った人を5、60代まで追うだろうか。公開時のキャッチコピーは「その愛は狂気にも似ている」。いやはやまさにその通りで震える。

といいつつ、終始笑いながら観ていた。今 敏の作品の真骨頂はメタフィクション にあると思っていて、私は彼のメッタメタな演出が好きなのだが、この作品なんかまさにそうだ。もう年老いた大女優がインタビューを受けながら10代から現在までの過去を回想するのが物語の主軸であるが、その回想シーンにインタビュアーとカメラマンが入り込む。

この時点で2人がいる階層は1つうえの次元(神の視点)にいるはずなのだが、物語が進むにつれて普通に回想のなかで女優と接触し始めるのだ。「いや、ダメだろ。過去が変わるわ」と突っ込みたくなるのだが、これがどうにも面白い。それでいて、ものすごくストーリーが綺麗なのでもうボロボロ泣ける。滂沱の涙を流しながら、スタッフロールを観て、最後は館内に拍手が起こった。

映画館で拍手を聞いたのは2年前に六本木ヒルズで観た「アベンジャーズ」以来だ。当時は6割くらい外国人で、みんな酔っ払っていて、各シーンでフルハウスくらい笑い声が起こっていたので「Fuu!!!」って感じの拍手だった。スパイダーマンが敵にやられて砂になったあとに「Fuuuu!!!!」だった。もうなんかヴィランの集いだった。

でも今回は違う。まず観客のほとんどが陰の者たちだったし、やはり故人が作った映画だ。10年ぶりにあらためて今 敏を惜しむような、鎮魂じみた拍手だった。いやはや、早稲田松竹さん、こんなに素晴らしい企画をありがとうございます。

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