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人の欲望

どうもジュリョウです。
前回に少し触れました『人の欲望』は尽きることがなかったということについて考えます。
あらゆるモノが大量に安価に作れるようになり、ある程度のモノが行き渡れば、需要はどこかで飽和すると考えられていました。しかし現実は全くそんなことはありませんでした。

あのインスタグラマーが行っていたところに行きたい
お隣さんより高い外車が欲しい
あのママ友のカバンは限定のやつや
回らないお寿司しか行かないよ
もっともっと、、良い格好をするため。もっともっと、、美味しいものを。
現代ではもっぱらSNSにより刺激された人の欲望は尽きることがありません。

他人より幸せになるのはなぜ困難なのか

幸福とは人間の最大の関心事だと思います。人はみんな幸せになりたい。しかし、それがきちんと叶う人はそれほど多くありません。
なぜか。原因のひとつは「他人と比較」することにあります。「ただ、幸福になりたいと望むのなら簡単だ。しかし他人よりも幸せになりたいというのであれば、それは困難だ。われわれは、他人を実際以上に幸福だと思っているからだ。」といったのは、かの有名なモンテスキュー。
あの人に比べ、自分はなんてちっぽけなんだ。そう自分を卑下し、人をうらやむ。多くの人が大なり小なりそんな経験をしたことがあるでしょう。

他者との比較

仕事・結婚・家・車・ブランド品。自由な時間・年収・出世、、、何かのものさしで生きる人には幸せ(弊社では、永続的に感じることができる安心や豊かさと定義)は訪れません。誰かにどこか部分的に勝ったとしても、必ず上には上がいるからです。自分の価値基準がないと振り回され、他人の良い点ばかりを見て、自分の悪い点ばかりを見てしまうなど、悪循環がその後も続くことになります。生涯にわたって苦しむことになってしまう。

『足るを知る』

昔から日本には『足るを知る』という言葉があります。(老師の言葉なので厳密には中国からなんでしょうが)似たような言葉で『立って半畳、寝て一畳。天下取っても二合半』ってのもあります。
どんなに広い家に住んでも、人間が起き上がっている(立っている)には半畳のスペースがあれば十分だし、寝るのにも一畳あれば十分。
また、いくら天下を取っても、一食に二合半以上の飯を食うことはできない。人間が生活するのに、人間が生きていくのに、それほど多くのものはいらない。人間の際限のない物欲を戒める言葉です。

何事に対しても“満足する”という意識を持つことで、精神的に豊かになり、幸せな気持ちで生きていけるということを表しています。 不満を言っても、自分がミジメになるだけで状況は変わりません。

自身の価値観を確立する

しかし、決して欲をなくすなといっているわけではありません。夢や憧れは生きる原動力にもなります。かく言う私も外車に乗っていますし、自分が手に入れたいと願うものは努力して手に入れるべきです!しかし、前提として、何事(幸せ・時間・お金・交友関係などなど)に対しても自分なりの価値観に則ったものであることです。誰かと比較するとか、周りにうらやんで欲しいとかでなく、自分が良いと思うこと、好き嫌いを選択できる自分の価値観を確立すること。きっとそれが、幸福に通じているのだと思います。ではでは

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