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なぜ自分の時間は増えないのか

どうもジュリョウです。最近は釣りにハマっています。釣りと言ってもそんな本格的ではなくて、岸からちょっと投げる程度の釣り。最初はすきま時間で近場(大阪市内)に行っていたのですが、魚があまりいない。だから次第に垂水とか泉大津とか車で一時間くらいかかるところまで行くように。そうしたらすきま時間では無理なんです。
仕事はあるし(私の場合は割と自由に決めれる方)、家族との時間もいるし、釣りには行きたいし、山にも登りたい、本も読みたいし、映画も観たい、あぁあれもこれも、、みなさんも経験あるんじゃないでしょうか。SNSにもかなりの時間を費やしている気がしますし。

週15時間労働で済むはずだった

さて、今から約100年前、イギリスのなんちゃらっていう経済学者が「2030年には、技術の進歩により生産性が向上し、人々は週15時間程度の労働をすれば済むようになるだろう」という未来を予測したそうな。はい。あと7年と迫った2023年の現在では、技術は遥かに進んで、生産性も格段に向上したことでしょう。ただ、どうでしょうか。みんな長時間労働に疲れ、時間に追われる日々を過ごしているじゃないですか。しかも、その長時間労働が豊かな生活をもたらしてくれる実感がまったく沸かない。それどころか、経済活動に寄与しようとすればするほど地球環境を破壊しているんではないかという、絶望的な現実。これこそ超巨大なパラドックスです。経営計画書の最後に記載されている「この時代に生きる私たちの矛盾」そのもの。

資本主義は時間を無限に奪う

マルクスが唱えた「資本論」で、資本主義の本質は「資本の回転を加速させる経済」といっています。例えば、農家が耕運機を導入すると、農作業は効率化します。しかし、資本主義では隣の農家が新型の耕運機を導入すると、旧型を使っている農家は生産性や価格競争で負けてしまいます。結果、旧型の耕運機は廃棄され新型への買い替えが進む。そうして技術革新の回転が速まる。という感じ。資金を速く回すことに成功した人が、社会の勝者になる。

技術革新が進んだのは紛れもない事実。ここまでは100年前に予測されていた通りでした。では、その予測していた学者(ケインズ)さんはどこを見誤ったのか。それは「人の欲望」です。ある程度のモノが安価で大量につくれるようになれば、需要はどこかで飽和すると思っていたんです。
ですが、資本の成長のために人の欲望は無限になってしまった。地位財や広告で刺激された人々の欲望は尽きることがなかったわけです。もっと良いモノを手に入れたい、もっと美味しいモノを食べたい、もっともっと、、、
結局のところ私たちは、無限の消費・無限の成長・無限の加速を要求されるばかりで、時間を奪われています。それに、どんどん生活のテンポが加速していく生活はストレスフルで精神も蝕みます。

時間の価値を考える

かといって「弊社は資本主義から脱却します!」とすればすぐに淘汰されてしまいます。企業は収益を上げているからこそ雇用を維持できます。この資本主義でなんとかやっていかないといけないわけです。労働集約型の弊社としては、仕事をしていることが人生の時間の大半を占めることは、ある程度は仕方ないことかもしれません。ですが『仕事=苦役』ではありません。みんなで仕事の時間も楽しくできたら最高です!
そして、仕事以外の時間も充実した時間になるように、時間の価値を再考してみてはどうでしょうか!?ではでは

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