読売巨人軍は何をもって死ぬか
今日、巨人が死んだ。
阪神の大山悠輔はFAを行使せず残留を表明した。
私にとって、現在調査している甲斐拓也や石川柊太がどうでもよくなるくらいには、ショッキングな出来事であった。
近藤、森、山川、西川等々、最早FAの目玉と言える選手は半ばタンパリングを伴いながら巨人に来なくなり、そのたびに私は茫然自失としていた。そしてそれ以外の上辺の選手は全員ポスティングなどなんだので日本からいなくなった。
こうした事態を鑑みて、私は贔屓の読売巨人軍ファーストの思考のみならず、コロナ禍頃から日本プロ野球の沽券にかけて常々憂慮してきた。そして今やその懸念は的中したと言える。暗黙のうちに導入される飛ばないボールによる異様な打低、それに伴う本塁打数の減少、さらにそれに伴うスター選手の不在、さらにさらに数少ないスター選手はみなアメリカに行く、という悪循環は止まらない。
皮肉にもそれは、2023年WBCという栄光の歴史に起因しているように思える。大谷翔平の「憧れるのはやめましょう」とは裏腹に、彼らはアメリカに憧れてしまった。「アメリカを破って優勝」という結果こそが、憧憬へのトリガーだったのかもしれない。
この日本プロ野球の負のスパイラルは到底、観客動員数という数値から覆せるものではない。何せプロ野球というのは当然プロスポーツなのだ。勝利をもって歩みを進めなければ全ては無価値である。プロ野球は「推し活」の場ではない、とはっきり断言しておきたい。興行として成立しても、勝負至上主義として成立しないのであればプロスポーツである必要性など皆無である。
ゆえに、伝統と勝利をもって常に結果を残し続けてきた読売巨人軍という球団はスペシャル・ワンであった。
「であった」と書かなければならないのが心苦しい。この記事を拝読している諸君らであれば周知のことかもしれないが、その牙城は揺らぎつつある。確かに今年は優勝した。優勝した……が、この大山の獲得失敗がそれを砂上の楼閣にしかねないのではないか、と私は思ってしまう。
今年の巨人の勝因は間違いなく投手であっただろう。偉大なるエース・菅野智之を筆頭とした優秀な先発陣、昨年の焼け野原から見事に再建された中継ぎ、そして絶対的なクローザー・大勢と常にアドバンテージがあった。その中で井上を筆頭としたハイシーリングな有望株も生まれた。
それを当然無下にする気はない。しかし、この混戦のさなかの優勝には多少運が絡んだともまた言わざるを得ない。少なくとも、にっくき飛ばないボールがなかったら混戦を制することができなかったのではないかと私は思う。
事実、CSファイナルで巨人は敗退し、貯金2のエンタメ球団が日本一という、「あってはならないこと」を現実にしてしまった。短期決戦のDeNAについては明らかに巨人より実力が上だったのは確実だし、そこに文句をつけるつもりはない。ただ、この「下克上」という前例もまたガンの温床となりかねないと危惧せざるを得ない。私の中では今、2010年にロッテが下克上した後のプロ野球において、統一球の導入などにより数年スター選手が不在だった状況が今と重なっており、ここにポスティングも加わっていっそう危機感を覚える羽目になっている。歴史的に後塵を拝してきたはずの球団が、盟主である読売巨人軍、福岡ソフトバンクホークスを食ったという事実は想像以上に今後の日本プロ野球において転換点になるだろう。
そんな悪しき「前例」を作ってしまった巨人の敗因は、何と言っても貧打にある。岡本、大城、坂本、門脇らのコアを期待された選手のスタッツは明らかに首脳陣の想定を下回っていたと言ってよく、これは吉川一人の「嬉しい誤算(あるいはそれぐらい期待されていたかもしれないが)」では覆せるものではなかった。
然らば読売巨人軍が遂行するべきことは何か――と考えた時に当然頭に浮かぶのは補強である。FA制度導入以降、私が見てきた2000年代に特に顕著であるが、苦汁を味わうたびに巨人はFAで選手を獲得してコアを投入し、結果を残し続けてきた。それはもう歴史が証明している揺るぎない事実である。
そんなFAも2020年オフの梶谷と井納を最後に巨人は選手を獲得していない。しかもこの2人、大して役に立たなかったのだから、事実上最後のFAは2018年オフの丸佳浩である。
何故こんなことになったのか、については諸説あるだろうが、「タンパリングが疑わしい移籍がある(ただしこれに関してはお咎めがない以上巨人もやればいいだけなので文句は言えない)」「前述したようにポスティングのせいでめぼしい選手がいない」「前球団社長の今村司が『発掘と育成』を掲げて戦力補強を蔑ろにした」という3点だと私は睨んでいる。無論、美馬学や山崎福也のようにシンプルに振られたという事例もあったが。
それでも、今年6月から今村に代わって新たに就任した国松徹球団社長は補強と育成の両輪を宣言し、事実このオフには大山、甲斐、石川といった面子を好待遇の上で調査している。
しかし、本日11月29日付の報道が示すように、大山は来ることはなかった。6年24億の条件を用意しながら、5年17億で彼は残留した。金を積めばどうにかなるという前例が近年崩れつつあることについても遺憾の意を示さざるを得ないが、それ以上に私にとってショックなことが2つあった。ここでやっと話は冒頭に戻る。何故、大山の残留はこれほどまでに私に深い傷を残すのか。
それは一言で言ってしまえば、「阪神タイガース」からコアを引き抜き、「打てる巨人」を取り戻すというプランが瓦解したからだ。筆者はここを書くまでに既に両手で数えきれないほどの嘆息を漏らしたので、手短にカギカッコの部分について書いて締めようと思う。
「阪神タイガース」とは、言うまでもなく読売巨人軍と並ぶ伝統球団である。そのしきたりは歴史的には巨人が圧倒的に優位であったにもかかわらず、伝統の一戦としてプロ野球を象徴するものとなっていた。
そういった対立構図があるものだからか、これまでに阪神から巨人にFA移籍した選手は誰もいない(逆もまた然りだがそもそも巨人は殆ど選手を出さない)。バルセロナからレアル・マドリードに移籍する選手は何人もいても、阪神から巨人ではいないのである。
そのような状況で、阪神の4番である大山悠輔が、巨人に移籍する意味を、改めて考えてみてほしい。これは戦力補強になることは当然として、それ以上に「巨人にとって都合の良い前例」となるはずである。そして、ポスティングでFA移籍の困難を強いられる中で、強い巨人軍復活のための新たな足掛かりとなったはずであった。
「打てる巨人」を取り戻すというのは、これはもう読んで字の如くである。誤解を恐れず言えば、ホームランという最大の華をもって優勝の雛型を作りたいのだ。
とはいえ巨人が近年ずっと貧打の非力集団だったかと言われればそうではなく、例えば2022年には20本塁打を打った選手が5人存在している。今年の貧打というのは飛ばないボールやコアの相次ぐ不調に起因するものに過ぎない。むしろ、正反対のことをした結果優勝できたと言ってもいいくらいである。
それでもなぜ私が「打てる巨人」に固執しているかと言えば、これまでも何度か頼ってきたように、読売巨人軍という伝統ゆえである。それはV9のONコンビが始点なのかどうかはわからないが、私が知る限り「打てる巨人」は「勝てる巨人」であった。2000年代で言えば日本一を達成した2000,2002, 2009, 2012年は全て打力が傑出していたように思う。特に2012年は統一球もあり投手のチームだとみなされがちだが、あの異常とまで言える投高打低環境において坂本・長野という3割15本のバッターを2人、そして極めつけの阿部慎之助がいたのだから傑出度で言えば寧ろ相当なものだろう。
そして松井、阿部、坂本などといった巨人軍のコア中のコアを支える存在として、多くの場合野手のFA選手(や引き抜いた外人)が機能していた。彼らがセンターラインにいるのなら、江藤、小笠原、村田などといったFA戦士はコーナーでコアを支えて、打線を厚くした。
大山にはそのコアである岡本を支える存在として、後ろにいてもらいたかったのだ。そもそもこのチームは数年前からずっと5番打者を探している。中田翔が一時埋めていたが、もういない。貧打を補うことは勿論、コアプレイヤーが傑出した成績を残せるために、野手のFA戦士は投手以上に読売巨人軍に必須であると私は思う。
ここまで私の言動をまとめるかのようにつらつら書いてきたが、残念ながらいくら書いたところで大山はもう来ない。そして、これが読売巨人軍の現状だと受け入れるしかない。スペシャル・ワンであった読売巨人軍は今まさに地上に降りようとしており、そこに残されたのはノブレス・オブリージュのうち義務感のみが伴うという奇妙な状況である。要するに、こちらは何も選手獲得の地位や権力が得られなくなってしまったのに、例えばアンチ巨人が機械的に繰り返す固定認識の批判のように、「強い」巨人への僻みから来るバイアスだけが残ってしまった。
もう巨人は、日本野球プロ野球を象徴するチームとしても、ダイバーシティが幅を利かせ、サイレント・マジョリティが抑圧される社会を鑑みても、我々の知る巨人ではいられないのか。
読売巨人軍は、死んでしまったのか――? それはこれからの補強・そして優勝、日本一という結果にかかっているように思う。