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5〜11歳のワクチン接種開始

森岡 健さんの投稿より
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努力義務ですらない小児の遺伝子注射券が一斉送付され、足立区では昨日から接種が始まってしまっていた。現時点では集団接種ではなく基礎疾患のある児童に対して行われたようだが、接種後死亡した場合も 「基礎疾患があったから」  と言われているのに 「基礎疾患があるから打て」 というのはあまりにもペテンが過ぎる。被害が出てもワクチンのせいではなく基礎疾患のせいにできるロジックがはじめから用意されているわけである。足立区の小児接種を取材したNHKは、接種した児童に「 思ったより痛くなかった 」と言わせていたが、注射針そのものが痛くないから大丈夫だと言いたいのだろうか?そもそもコロナで子供(小児)の死者はいまだゼロで重症化例も稀であるため、100歩譲って仮にmRNAワクチンが安全であったとしてもワクチン接種の必要性は無いと言える。自然感染による抗体はスパイク部分以外の抗体も誘導されているわけだから、当然ワクチンで得た特異的な免疫よりも優れていて変異にも強いし、免疫記憶も長く残る。当然副反応もない。小児は成人よりも血清抗体濃度が上回っているという論文もあり、やはり子供は風の子だと思わざるを得ない。

でも在庫処分のためなんとか小児に打たせるべくこね繰り出された理屈が「周りのために打て」である。接種者が感染して重症化もしているケースはいくらでもあるわけで、接種後2週間は未接種扱いにされている上、接種日不明の人もなぜか未接種扱いにされ、さも「未接種が感染してる」ような演出がされている。「人にうつさないためにワクチンをがんばって打ちます」と書かれた子供の作文があったが、子供なら難なく騙せると思ってるのだろう。「君が打たないせいでおじいちゃんが死んでもいいのか?行事ができなくなってもいいのか?」といった、とことん卑怯なもの言いもそこかしこで見るようになったが、何も知らぬ子供の善意につけ込むのは卑怯以外の何物でもない。実際それで接種した若者は多かったろうし、修学旅行に行きたいがために接種したがワクチン後遺症から体がまともに動かなくなり修学旅行に行けなくなった子供もいた。心筋炎を発症してずっと心臓に障害を抱えることになった子、ギランバレー症候群で歩行障害になった子、短期記憶障害になってしまった子、そうした子らは高齢者のために犠牲になって良かったというのか?社会のため、公衆衛生のために人柱になって良かったとでもいうのか?

「子供たちにワクチンを打たせないで」は、単にmRNAワクチンが危険であるからというだけでなく「子供に犠牲を強いる社会であっていいのか」を問う思想の問題でもあり、「子供を犠牲にしても生き延びたいのか」を問う死生観の問題でもある。この国の未来に希望があるか否かは、今、子供をどれだけ守れるかにかかっている。

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