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写真には写らない美しさがあるから5

渋谷がとても好きだ。

京王線沿いで暮らすようになり、明大前から井の頭線にのるだけで渋谷へアクセスすることができてる。だけど、ぼくが決定的に渋谷を好きなったのは、カメラをはじめたことがきっかけだった。

渋谷という街には、カメラをかまえやすくする空気感がある。

改札をくぐり、駅前のスクランブル交差点に立ったじぶんをイメージしてほしい。自由にスマホをかまえる観光客、コスプレして動画を撮る人、信号無視をはしゃいでわたる女子高生。渋谷では、これらすべてが被写体であり、プライバシーごと自由にスクランブルされてしまう街なのだ。

東京に、そんな街がいくつあるだろか。海外なら、NYとかか?

3年くらい前、ぼくは不純な動機でカメラを購入した。時代はコロナ禍で、世界は戒厳令下の様相を呈していた。うたがわしいニュースとマスクごしの生活に、ぼくは心底ウンザリしていた。

やがて、カメラのある生活を妄想をするようになった。つまり、マスコミの目玉じゃない、じぶんの目玉にうつる非日常のリアルを記録してやろうじゃないか。みたいな妄想だったと思う。
不要不急も限界だった。メルカリでポチり、こんなカメラを手にいれました。

Leica C-LUX ミッドナイトブルー

話、もどります。

カメラを手にして感じたことの1つが、街でカメラをかまえる場面のむずかしさ、だった。ぼくはカメラのド素人で、どんな写真を撮ればよいかも、なにを撮ればよいかもわからない。そもそもよい写真って、何なんw

はじめた頃は、とにかく歩いてみることにした。近所も、渋谷も、へんぴな町も、旅するみたいな気分ですすむ。疲れたら、公園やカフェで足と目を休めた。それだけで十分たのしかった。

できる限りフラットな気持ちで、その景色にふれ、自由に撮りたかったのだ。しかし、すぐさまカメラの壁にぶつかることになる。

さて、ここで問題です。
一般的に、人はカメラで撮られることをどれくらい意思してるでしょう?、あなたはレンズを向けられてどう感じますか。そんなこと、ぼくは想像さえしませんでした。

結果、街でカメラをかまえる場面のむずかしさを、痛感します。なぜならカメラには、人の表情や空気をこわばらせてしまう心理効果があるから、です。

なんたる皮肉でしょうか。ぼくは自由になるつもりでカメラをはじめたのに、カメラによって不自由にされてしまうなんて!
To Be Next No+e

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