んち

ママ友。
子どもを介して得た母親同士の人間関係を成立させる、けっこう大きなファクター。主にお互いの子どもの名前に「ちゃんママ」をつけて呼び合うことが多い。

あまり大きな声では言えないが、私はアレが嫌いでして。
第一子子育て時代(またの名を孤独な子育て時代)、どこ行っても「お母さん」(お前を生んだことはねー!)、「奥さん」(誰???)、そして「ノイちゃんママ」。

異常に自意識が発達した私は、違和感のなかでママとしての人生をスタートさせた。
たいていの人は、違和感を抱きつつも、「ママ人生とはこういうものだ」的な空気を読みつつ、その空気のようななかにもある(と思われる)マニュアル的なものを踏襲しつつ、「自分=ママ」に馴染んで行くのですよね。

悪い! オレ、マイノリティー。

「○○ちゃんママ」と呼び合う交友関係を友だとすると、今、私にママ友はいないことになる。代わりに、というか、私の子どもの通っている保育園周辺では、「○○ちゃんち」という呼び方が一般的である。しかも「ちゃん」もついていない場合も多い。

英語で一家のことは、ファミリーネームをTheとsでサンドした形で呼ぶが(アニメの『シンプソンズ』みたく)、そんな感じ。うちなら、ノイんち、しいちゃんち、ということになる。

「ノイちゃんママ」には抵抗を感じる私ですが、「ノイんち」という呼びかけはけっこう気に入っている。なにより便利。ワンサイズフィッツオールというか、パパでもママでもジジババでも、使用可能。シングルでもスクラップファミリーでも可能。

○○ちゃんママという言葉の語感が重いのは、すべてが母という女性ひとりにのしかかってくる感じがあるからだと思う。それに対し、「んち」は軽い。西原理恵子の漫画のタイトルにもそういうのがある。そして、軽いながらも実は家、ホームという意味なので、スケールがでかい。宇宙感ある。(ありません?)

子どもにママと呼ばれるのがイヤで、下の名前で呼ばせたとしても、ごはんをつくったり、おねしょ布団を干したりすれば、それがホーム。子どもいるって見られたくないとか、アイデンティティーとか、そういうみみっちいことを気にしていた自分を乗り越えていけるような気がします。(しません?)

しかも、他家とのほどよい距離を保ってくれ、多少の相性の悪さも、「子どものためならエンヤコラ」で目をつぶることができる。そもそも、保育園に通わせている家はだいたい共働きなので、忙しい。たまに聞くママ友同士のマウンティングとか、たぶんしてるひまないんじゃないかなあとも思うが。

ちなみに、「んち」を知らない、十数年前、息子が生まれて初めて子育てコミュニティーに足を踏み入れた頃、「ノイちゃんママ」にヘキエキした私が生み出したコミュニケーションの苦肉の策は、まず相手の「ママ」に、下の名前を聞くことでした。

たいていの女性は最初、えっという顔をします。○○ちゃんママの仮面がずり落ちる瞬間です。自分の名前、あんまり好きじゃないのよね、と名前に関するエピソードを話してくれる人がいます。こちらの名前を言うと、へー、私の妹と一緒、という場合もあります。

この機会を逃さずに、下の名前にさんづけで呼び合うようになれれば、けっこう仲良くなれたものです。そもそも仲良くなりたいとまったく思わない人には、最初から聞きませんからね。さらに、そのうちあだ名になったり、ちゃんづけになったりして、子どももそっちのけで遊べるようになれば、もうどうやって知り合ったかとか、どうでもよくなるわけです。

楽しいことをしていきます。ご一緒できたら、ほんとにうれしいです!