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「こじらせ」にも意味があった…!

こんにちは(*'▽')

凄い人だなぁ!と心酔するような人物がいたとして、その本人に(その生涯ひっくるめて)なり替わったり、身内や身近な関係者になれるよって言われても、替わりたいかどうかはわからないなぁと思います。有名になる・成功することと個人的な幸福とは、相関しないようです…人によるのかな!?


はじめに――内面的葛藤を視覚化する力

美術史は、芸術家たちの「偉大なるこじらせ」から生まれた。

画家にとって、人生は大きなキャンバス、恋愛は絵の具だ。

「こじらせ」とは、【物事をもつれさせ、めんどうにしてしまう】こと。

しかし、この逆風こそが芸術のスパイスとなって画家たちの作品を引き立ててきた。もしゴッホが、真面目な伝道師のまま常に冷静で、どこからもはみ出さない男だったら、あのような命がほとばしる絵画を描けただろうか。もしピカソが、女性関係にクリーンで、アカデミックな肖像画だけを描いていたら、あのような絵画の革命が生まれただろうか。やはり「こじらせ」は、芸術の母なる存在なのだと言えるだろう。そして画家は、こじらせてしまった人間的な弱さがあるからこそ、その作品も愛される。彼らは、どうしようもないダメな人間であることを絵画の中でさらけ出し、見る人に安心や希望を与えてくれる存在なのだ。

そんな画家たちの「こじらせ」には、いくつかの種類があるように感じる。

ゴッホ、カラヴァッジョ、モディリアーニのような「破滅型」。

ピカソ、クリムト、ムンクのような「恋愛依存型」。

フリーダ・カーロ、エゴン・シーレ、ゴーギャンのような「自己愛型」。

もちろん、このように簡単には分類できない複雑な「こじらせ」も多い。

芸術とは、「聖」と「俗」が折り重なることで生まれるサンドイッチみたいな存在だ。「聖」なる存在でも、「俗」というスキャンダルと共存しなくてはならない。そういう宿命をはらんでいる。時に画家は、ならず者で、反逆的であることすら求められてしまう。常に新しさを求められる一方で、新しさゆえに酷評もされてきた。芸術をめぐる多くのもめごとが時代の転換を象徴するような出来事へとつながり、歴史を形作ってきたのだ。画家たちがこじらせた壮大な歴史を振り返ってみると、「人は、なぜ絵画を描くのか?」「人は、なぜ絵画を愛するのか?」といった本質に迫ることができるような気がする。本書は、「偉大なるこじらせ」が、いかに芸術に貢献してきたかということをまとめた一冊だ。栄光と没落を知り、幸福と不幸の両方を味わった聖なる画家たちの人生から、少しでも何かを感じていただけたら嬉しい。

◆◆◆

「叫び」に描かれた苦悩の正体は? エドヴァルド・ムンク(1863-1944)

ノルウェーの画家ムンクは、医師の息子として生まれ、身長も高く、イケメンだった。

しかし、その恵まれた環境、容姿に背をむけるような人生を歩み、誰も描いたことのない奇妙で霊的な画風を生み出した。

ムンクは、真っ赤なオーロラが浮かぶ空、フィヨルドのように歪んだ空間と苦悩する人物を多く描いた。橋の上で男が体をひねり苦しんでいる姿を描いた「叫び」は世界的に知られているが、彼の人生の苦悩を知っている人は少ない。ムンクは、いったいどんな叫びを描いたのだろうか?

ムンクは、生まれつき病弱で慢性気管支炎を患っていたため、引きこもりがちで叔母や家庭教師から教育を受けた。父からは歴史や文学を教わり、とくにエドガー・アラン・ポーの怪奇小説をよく読んだ。彼が5歳の頃、母が若くして結核のため亡くなってしまう。さらに14歳の頃には一つ上の姉が同じく結核で亡くなるという不幸が続いた。父が医者であったのに次々と襲いかかる「家族の死」は、彼の絵画作品に大きな影響を与える。

ムンクは、病や絶望をエネルギー源として絵画を描くようになった。その私小説的な絵画表現が新しかった。本格的に画家を目指した彼は、首都クリスチャニア(現在のオスロ)の絵画学校を卒業後、ノルウェー政府の奨学金でパリに留学した。

最初、憧れたのは印象派の画家たちだった。ゴッホの激しい筆致、ロートレックの画面構成から影響を受けつつ、次第に不穏な色彩で線を描く独自のスタイルを創り出していった。

また、極端に強調された遠近法は、ゴッホも好きだった北斎などの浮世絵から影響を受けていると思われる。

苦悩するイメージが強いムンクだが、容姿端麗で女性にはモテた。しかし、22歳の頃、親戚の画家フリッツ・タウロウが主宰する「野外アカデミー」に参加した際、フリッツの弟の妻ミリー・タウロウを好きになってしまう。彼にとって初恋の女性だったが、相手は人妻だ。その恋が実ることはなかった。

そして、追い打ちをかけるように、25歳の時に父が亡くなった。

彼の描く絵画は、ますます愛と死を扱ったものが増えていく。その後も妹が精神を病んで入院することとなり、医者になっていた弟まで肺炎で亡くなってしまう。

ムンクは、家族を襲う立て続けの死というショックから幻聴や幻覚、妄想に苛まれ、その苦しみを絵画の制作にぶつけた。

激しい筆致と色彩で描く「表現主義」に美術の潮流が移り変わるタイミングであったこともあり、パリでの評価は次第に高まっていった。ムンクは、巨匠たちが絵画の中で感情を伝えるためにどのように色彩を用いていたかを徹底的に研究した。

そして、内面的表現、神秘主義に傾倒していたムンクは、この頃ブームとなっていた心霊写真から、黒い不気味な影の形態を思いついた。

生体が発散するとされる霊的な放射体「オーラ」などの目に見えないエネルギーを色彩と線で表現しようと試みたのだ。そして、フィヨルドの曲線とオーロラの原色をベースに、見る人の心の奥底を深くえぐるような新しい象徴主義的な作風を生み出すことに成功した。

35歳になったムンクは、富裕なワイン商の娘、トゥラ・ラーセンという女性と出会う。ふたりでイタリア各地を旅行するほど仲むつまじく交際していた。

しかし、ムンクは幼少期からの不幸、虚弱体質、自身の不安定な精神状態に恐怖心を抱いていた。家庭を持つ気にはなれなかったのかもしれない。やがて結婚をせまるトゥラと口論になってしまい、自殺すると言ってピストルを持つ彼女ともみ合ううちに、ピストルが暴発してしまう。

ムンクは、左手中指の第二関節を撃ち砕かれるという大きなケガを負ってしまったのだ。トゥラとは破局。しかも、別れたトゥラは、その後ムンクの知人だった若い男と結婚し、さらに彼を苦しめた。

やがてムンクはアルコール依存症となり、生活は荒れ果てた。しかし、皮肉なことに作品はどんどん評価を高め、ベルリンで初の個展を開き成功をおさめる。ムンクの精神的危機とは反比例するように、画家としては成熟していくのだ。

その後、アルコール依存症を克服するため、デンマークの精神科病院に入院。回復した後は、画家としての評価も世界的に高まり、最後の約30年はクリスチャニア郊外のエーケリーに土地を購入し、ひとりでひっそりと過ごした。そして、80歳の誕生日の後しばらくして、気管支炎を起こして、亡くなった。

代表作「叫び」は、30歳の頃に描かれた。

叫んでいる人を描いたものと誤解されがちだが、実は橋の上で得体の知れない「自然の叫び」に耳を塞ぐ、ムンク自身が描かれている。

油絵、パステル、リトグラフ、テンペラで同じ構図による作品を制作しており、5点以上の「叫び」が存在する。「叫び」は、繰り返し制作の依頼が来るほど、人気があったということだ。

もし美男子のムンクが、幸せな家庭に恵まれたままだったら、この名画は生まれなかっただろう。

幼い時から家族に次々襲いかかった病気と死が、ムンクの絵の具となり、彼の芸術に大きな影響を与えた。生と死、男と女にまつわる普遍的な苦悩が「叫び」となって、この絵を見る人すべての声を代弁する。向き合ったのはナルシシスティックな「私」ではない。ムンクの「叫び」は、葛藤や苦悩が映し出されたみんなの「鏡」なのだ。

◆◆◆

あとがき

なぜだかわからないが、昔から「画家の人生」に興味があった。

とりわけ「こじらせ」ている画家に心惹かれる。小学5年生の時、最初に模写したのはダリの「十字架の聖ヨハネのキリスト」だった。高校性になるとピカソのようなキュビスムの絵を描くようになり、初めて描いた油絵は、ディエゴ・リベラ風の巨大壁画だった。これらの画家の人生を知れば知るほど、人生に対する不安がなくなるような気がして、どんどんのめり込んだ。こんな風に生きていいんだ、という大切なことを教えられた気がする。

(略)こうやって振り返ってみると、10歳の頃から、ほとんど興味が変わっていない。それほどまでにこれらの芸術家たちが、強烈に魅力的であり続けているということを痛感する。共感というよりは、共鳴に近い感じだ。

宗教画は人々に癒やしをもたらしてくれるが、異端とされるような作品もまた、ある種の「救済の絵画」として、心を安らげてくれる。どこの社会からもはみ出してしまった画家のエピソードばかりが集まる「こじらせ美術館」は、もしかしたら「読むアートセラピー(芸術療法)」なのかもしれないとも思う。この本を手に取った人が、少しでも何かを感じてくれたら嬉しい。

ナカムラクニオ

『こじらせ美術館』(集英社、2021年)より


絵画に限らず、小説・映画・音楽・身体表現など文化と呼ばれるもの全般にいえますが、共鳴できる作品があるってなにかしらの心強さを得られることだと感じます。どんな時代どんな地域・国に生まれても、葛藤や苦悩の本質はそれほど変わらず、先人達がいろいろな方法で現代に生きる我々にヒントを残してくれている!と、魂のエールを(勝手に)受け取っちゃいます。

「なぜだかわからないけど、これ気になる!」という直感を頼りに、そんな作品にこれからも出会っていけたらいいなぁと思います。

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