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使いたくなってしまう…武力

こんにちは(^^)

市の体育館で護身術の講習を受けたことがあります。
警察署から指導に来てた恰幅のいいおじさんが、いろいろ教えてくれました。
グループで参加していたのは、普段そこの体育館でバレーボールかバドミントンをやってそうな、スポーティーな女性たち。元気。活発。
おじさんが「身体接触は、玄人でも難しいから、逃げるのが最優先❗ 護身術を覚えたからといって、戦おうとしてはダメですからね」と慌てて?忠告するほど。
「そんなにすたすた前向いて歩いてる人は襲われません(^^;)」とも。
…でも、人の心とは妙なもので、得た技あるいは武力は実際に使ってみたくなってしまうもの…怖や、怖や。


 いざというときに機能しなければ “軍隊” とは言えない。そのためには装備も必要だし、訓練もしなければならない。重厚な装備を整え、厳しい訓練も行い、準備万端整っても出番がなければ、兵隊たちは何のために訓練したのかわからないし、将軍や政治家も何のために莫大な予算を注ぎ込んで、戦闘機やイージス艦を揃えたのかがわからなくなる。そこで、使わなければ意味がない・・・・・・・・・・・という暗黙の圧力が徐々に高まる。
 国内の兵器産業も同じで、国を守るために戦車や戦艦を造れと言われ、生産ラインを整えるが、途中で「もう十分」と言われても困る。だから、暗黙のうちに兵器を “消費” してほしいと考える。
 というように、軍備は整えれば整えるほど、戦争への傾斜が強まる宿命を負っている。
 ならば軍備をいっさい放棄して、完全な丸腰になったらどうか。近隣の国がすべて善良であればいいが、そんな保証はどこにもなく、むしろオメデタイ平和ボケを “据え膳” と見なされる危険性が否定できない。
 1990年のイラクによるクウェート侵攻は、その2年前にイラン・イラク戦争が終結し、イラク国内で大量の軍人が余ったことが遠因であるらしい。この話はイラクの侵攻があったまさにそのとき、私が日本大使館の医務官として勤務していたサウジアラビアで聞いた話だから、信憑性は高いだろう。
 ソ連のアフガニスタン侵攻や、NATOによるボスニア・ヘルツェゴビナの空爆も、同様の側面があると聞く。古い兵器は “消費” しなければ、新品を購入しにくい。新品を造る会社も、古いのが残っていると買ってもらいにくい。すなわち、軍備を増強すればそれだけ戦争の危険が高まるということだ。
 しかし、軍備が脆弱だと、侵略を受ける危険を免れない。だから、日本は国内にアメリカ軍の基地を造ってもらい、憲法を都合よく解釈して、十分ではないけれど不十分でもない軍備で、危ういバランスを保っているわけだ。

久坂部羊

『冴えてる一言 水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる』(光文社、2022年)より


鳥取に縁がありますし、水木しげるさんは「ゲゲゲの鬼太郎」で子どもの頃から馴染みがあります。太平洋戦争にご自身が従軍された経験をベースにしたマンガも描いていらっしゃいますが、指揮系統の上層部の考える大義や理屈が幻想・机上の空論に過ぎないと言わざるを得ない、むごたらしい、惨めな、虚しい、あまりにあっけない人間の「死」がおびただしい数にのぼっていたことを警告してらっしゃるかのよう。
「国を守る」の「国」に、自分や身近な人の生活・人生・生命が含まれているとは限らないな…と、最近のTVのニュース映像等視て、暗澹とした思いを抱える方は多いのではないでしょうか。

ところで、護身術に話を戻すと、一番は「逃げる」ことだそうです。掴まれたりしたときに、相手から逃げおおせるための技。防衛、自衛。
鞄にいつも魔法瓶入れてる人は、鞄を振り回してもいいかも…❗

Victims of war are always fragile people… I hate WAR ☆

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