日々懸命に耕す

こんにちは(^^)

日本のジェンダー・ギャップ指数が芳しくないという話題のとき、女装家のミッツ・マングローブさんが「お風呂が沸きました、ご飯が炊けましたっていう家電の音声、女性の声か男性の声、選択できればいいのに。女性の声だと、女と暮らしてるみたいでイヤだわ」とおっしゃってます。

家事は女性の仕事とは決まってないんだから、という背景のある意見なのですが、妄想家のわたしは「声が選べるなら、阿部寛(敬称略)の渋い声で『お風呂が沸きました』と知らせてほしい!」と脱線しました。「テルマエ・ロマエ」の古代ローマ人、ルシウスのイメージです。


考えは胸のうちに留め続けているだけでは、不健康になるから、外へ排出しなければならない。だからイタリアでは、利他的で謙虚な人でも自分の考えを言語化する。要するに、良い弁論者は自らが発した言葉をしっかり反芻し、時には反感や顰蹙を買っても、それを客観的に省みるゆとりをもつ。それこそがマルコじいさんのいわんとしていた謙虚さであり、良い弁論者としての資質ということなのです。よく考え、よくしゃべる人は、傷つく頻度もそれだけ増えますが、それだけ自分という人間を日々懸命に耕しているという姿勢を表すものでもあるのです。

ヤマザキマリ

『たちどまって考える』(中公新書ラクレ、2020年)より


こうありたいなぁ、という姿を示してもらいました!

ちなみに、ルシウスは公衆浴場の建築技師なので、お風呂を沸かす仕事はしないでしょう…(^^;

Ciao, arrivederci ☆

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